人気ブログランキング | 話題のタグを見る

キャッチ ミー イフ ユーキャン

キャッチ ミー イフ ユーキャン_a0065481_1853526.jpg

★フランク W アバグネイルJR
◆この映画は実在の男をモデルとして、レオナルド・デ・カプリオが演じています。その男の名は「フランク W アバグネイルJR」といいます。

「1964年から1967年まで、パンナム航空のパイロットになりすまし、320万キロをただ乗りし、大病院で小児科主任医師になりすまし、ルイジアナ州では偽検事補佐、逮捕時には犯罪史上もっとも若い大胆不敵な詐欺師といわれ、26カ国と全米50州で小切手偽造で得た総額は400万ドル。それも「19歳」の誕生日目前に―」

◆若き天才詐欺師―その魅惑的で華やかな人生の映画です。

★子供には力があるということ―子供のマジカルな力を表現するスピルバーグ

◆えっと・・・まず、すこしこの映画の監督のことを話して、導入としませふ。
映画監督スティーブン・スピルバーグは現在もっとも名の知られたアメリカの映画監督のひとりです。

◆製作総指揮作をふくめれば、「ジョーズ」(1975)、「未知との遭遇」(1977)、「E・T」(1982)、「グレムリン」(1984)、「グーニーズ」(1985)、「バック・トゥー・ザ・フューチャー」(1985)、J・Gバラード原作「太陽の帝国」(1987)、「インディ ジョーンズ」(1989)、「ジュラシックパーク」(1993)、「シンドラーのリスト」(1994)、「プライベート ライアン」(1998)、「A・I」(2001)、P・Kディック原作「マイノリティ・レポート」(2002)、この「キャッチ ミー イフ ユーキャン」(2002)、H・Gウェルズ原作「宇宙戦争」(2005)・・・などなど、誰もがなにかしらはTV等で見たことのあるのではないかしらん。いがいと、SFの巨匠(J・Gバラード、P・Kディック、H・Gウェルズ)の作品も手がけています。

◆映画を撮るのがはやくて、うまい。
映画の機微と手練手管を知り尽くした現代の映画職人の名匠だと思います。アメリカ郊外の中流的な、育ちのよい(それは今の社会では、「イメージ」をいかにとり扱うか知っているということですけれども)―映像感覚があります。それから、そのデビュー作「激突!」(1971)から「トランスフォーマー(製作総指揮)」(2007)にいたるまでずっと映画やSFX、そしてなにより「テクノロジー」と「機械」に対する「子供っぽい憧れ」をもちつづけていて、それがかわらない映画のモチベーションとなっている。

◆こんなにダイレクトに、幾つになろうとも「子供っぽい憧れ」を保ちつづけられるというところにスピルバーグの凄さを感じてしまいます。それはある意味ではアメリカ人が普遍的にもつような「子供の遊び」のようなものであり、だからこそ多くの人を魅了するものではないでしょうか。

◆スピルバーグ映画を見ていると、「子供」であることの中に人生すべてはふくまれていて、「大人」は「子供」の中にあり、あとはそのくり返しなのだと思わされてします。

◆それから、スピルバーグは「子供っぽさ」のなかにある聖性のようなマジカルな力をおそらく本気で信じている人だと思います。「E・T」でも、「太陽の帝国」でも、「A・I」でも、そしてこの「キャッチ ミー イフ ユーキャン」でも、子供っぽさがひとつの犯すべからざる力として機能する光景がくり返し描かれています。

◆自分の中にある大人を信じずに、子供を信じること。
つまり、成熟するのではなくて、未成熟でありつづけること。
ピュアなもの。イノセントなものへの崇拝の思い。
そしてその挫折と苦い哀しみ。

それらのメッセージのいずれかが、スピルバーグ映画に読まれるのではないかと思います。
キャッチ ミー イフ ユーキャン_a0065481_355682.jpg

★スピルバーグのあらわすアメリカへの喪失感
◆スピルバーグ映画を特徴づける感覚は、アメリカの輸出品として、全世界が共有するような―そしてそのあとをアニメとマンガで日本が追っているような―「郊外中流感覚」です。

◆スピルバーグ映画は、ゴダール的な洗練された抽象劇ヴェンダース的な人間の孤独なさまよい王 家衛的愛の不毛なすれちがいキューブリック的な映像美学や皮肉のきいた哲学を表現しません。

◆そのかわりに、エンターテイメントの楽しさや、アメリカ人らしい無邪気な奔放さ、人物にたいする子供っぽい憧れ、豊かな中流感覚の「遊び」、人生の黄金時代への郷愁―スピルバーグ映画ではそれはたいがい「子供時代」なんですが―、そしてその子供時代へは戻れないことへの「喪失感」をあらわします。

◆こういった認識はいわゆる「ロスト ジェネレーション」同様にアメリカ的な、モダンの時間軸と物質的な価値、人生観によって描かれます。モノと金に支えられた豊かな生活と過去への郷愁―おうおうにして、それはアメリカの黄金時代と重なります。つまり、ピュアで素朴で力強い、かつてのアメリカへの甘い郷愁です。(だから、スピルバーグはアメリカの力が正しかった「第2次世界大戦」は描いても(「太陽の帝国」、「シンドラーのリスト」、「プライベート・ライアン」)、アメリカの力が正しさを疑いはじめた「ベトナム戦争」は描きません、たとえば、ゴダールやオリバー・ストーンが描かざるを得なかった混沌を描かない。そこがスピルバーグのファンタジーなのでしょう)

◆結果として、スピルバーグ映画はある感覚を帯びます。それは現代の映画から見ると、「育ちのよさ」と「ヒューマニズム」、そしてアメリカの人間観を代表するなにかです。そして、2000年代以降の映画―「A・I」、「マイノリティ リポート」、「キャッチミーイフユーキャン」の3本はそういったモノが失われて、さまよっているような印象を受けます。

◆それは、つまり「喪失感」―
失われてしまったアメリカ―
ピュアなアメリカ、素朴なアメリカ、強いアメリカ、希望にみちたアメリカ、家族的なアメリカ、子供時代のアメリカ・・・それらは喪失されてしまった。

◆この3本の映画の主人公はいずれも、失われ、欠けてしまった「家族」をもとめて、もがき、悩み、苦しみ、さまよいます。でも、そのいずれも「家族」が回復されることはありませんでした。

そんなところに今のアメリカの状況を示すなにかがあるのかなぁ~と思いました。
キャッチ ミー イフ ユーキャン_a0065481_3563036.jpg

★自伝的な型破りさ―社会をあざむく華麗な変装
◆さて、話題をかえて、スピルバーグとこの映画の主人公フランク W アバグネイルJRをつなぐ話をしてみましょう。スピルバーグが好んでよく話すという、若きスピルバーグ自身のエピソードにこんなものがあります。

◆「1965年、17歳の映画少年スピルバーグはロサンゼルスのユニヴァーサル・スタジオへ「観光ツアー」の一員として訪れます。当時、ユニヴァーサル・スタジオは映画にまつわる、さまざまなセットが見られたんですが、撮影現場は見られませんでした。そこで、スピルバーグ少年は休憩時間にツアーを抜け出して、スタジオにもぐりこみ、撮影を見学した。あくる日、また撮影が見たいスピルバーグ少年はビジネススーツにブリーフケースといういでたちに変装し、撮影所に出かけ、撮影所のガードマンに若手重役のように挨拶し、それから、毎日撮影所にかようようになりました。そして、そのうちに空いているオフィスをみつけてもぐりこみ、内線電話も自由に使うようになった。彼の変装は成功して、顔見知りも何人かでき、本物の重役と信じる人もいたそうです」(「スピルバーグ」(講談社現代新書))

◆なんだか、この映画の主人公「フランク W アバグネイルJR」を地でゆくような、破天荒な話ですが、おそらく、そういったスピルバーグ自身の過去とこの映画を重ね合わせているようです。その意味でこの映画はきわめてスピルバーグ的であるといえます。

◆華麗な嘘やでたらめ、変装、詐欺―それらでさえも魅力にかえてしまう表現の魔力、善悪を超えたチャームの力☆

その2へつづく☆
←menu