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徒然日々のこと―サクラサクラサクラ―

☆桜―かわる風景―日本人の考える美―風景論

桜がきれいな季節になりました☆
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すこし冷静に桜の花の美しさをいうと、その特徴は「風景」をかえることにあると思います。いままで見ていた「風景」が全体としてパッとかわる・・・あのいつもの街角が、川べりの散歩路が、そして山の小道が・・・いつしか見慣れない「異界」の風景になる。

「「この世」―常世―から「あの世」―異界―へかわる風景」の美しさの一瞬の妙をとらえるということ」

桜の花にある美の本質ってそんなところにあるのかなぁ~と、きのう、桜をながめながら、そう思いました。つまり「異界」の幽玄めいた風景を、静やかにあらわすこと。

事実、桜を見ると、なんとなく―
「あ、このまま、死んじゃってもOKかな・・・」―と、思う。
「こんな風に散っていいんだな・・・」―と、思う。
「ま、いろいろあったけど、ま、いっか・・・」―と、思う。
なんだか、思っちゃうんですよね。どうしようもなく。
つくづく、自分で自分のことが、とても日本人的な感性だと思います。
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風に散る花吹雪にまみれ、むかしから長いあいだ、花見をしたり、歩いたりして、時にうかれ、酔いしれて、死を思い、美を感じながら、桜の花爛漫の風景を見ていたけれども、どうして美しいのかという問いを深めることがなかったことはすこし悲しい時間の浪費のように感じました。まったく「光」ばかり眺め、「コトバ」ばかり慈しみすぎたことは、おろかなことだと思います。「宇宙」ではなく、「地球」のレベルで生きていることが、とても悔しい。
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先日の六本木アートナイトでもっとも興味深かったのは、1000個の風船が風景を「異化」させることでしたが、こういった「風景論―ランドエスケープ論」はずっと日本人の根本に流れている「ART」や「芸術的」なものをめぐる根本的な認識ではないか―と思います。(基本に立ち返れば、「ART」、「芸術」、「芸能」とはあの世とこの世を橋渡しするものです)そこには個性はなく、名前もなく、ただただ無記名で、言葉ではないようなもの。もやりたち、夢幻めく、この世ならぬもの。「コトバ」にならず、逃げていってしまうもの。消えていってしまうもの。本当の「風景」とはそういうものだと考えます。
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そんな「風景」に囲まれると、自分の存在が溶解し、ぐちゃぐちゃ、ぐにゅぐにゅ―になるのを感じます。自分なんてものは「原始のスープ」みたいなもんなんだろうな。しょせん。存在なんて、くだらないもんだということを、桜の中に感じました☆

春はそんな季節なんでしょう。
おそらく、きっと―
自分の人生がいかに下らない、愚かで幸福な「コトバ」のまやかしで出来ているのか―を痛感させられてしまいました。
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