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陰翳礼讃

―というわけで、めずらしく(?)、前回の告知どおりやってみたいと思います。

谷崎の名著「陰翳礼賛」です。

まぁ―こういうコンピューター空間のような進歩的で、まっ白で、ピカピカした空間にはおおよそ似つかわしくない本であることは間違いないのですけれども、時代の流れです、谷崎には申し訳ないのですが、でてきていただきましょう。古い日本的美学と欧米化した現代社会にたいする批判というようなものがつまっている一冊です。
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☆「陰翳」という日本文化の女性性
まず、はじめにすこしだけ、本の概観を描いてみます。
この本は昭和八年(1933)に出版されました。
昭和八年といえば、第一次世界大戦と第二次世界大戦のあいだの時期にあたり、日本はかなり欧米化と工業化が進んでいたようです。一方で日本的なものと欧米的なものとをめぐる価値観の齟齬があったらしく、夏目漱石から谷崎潤一郎にいたるまで、そういった齟齬がくり返し描かれています。

いまの社会からは、あまりうまくイメージすることができないんですが、当時は欧米と日本の価値はあいいれるのかと思われていた。大日本帝国化へと急ぎ足ですすんでいたこの時代、ふと今おかれている状況を省み、基本に立ち返って、すこしだけ状況を押し戻してみたい思いに駆られたような谷崎を通して、この時分の日本人の心境が推し量られます。その意味でこの本は「回帰」の本なのでしょうが、「武士道」がそうであったように、たいがい人が「回帰」して、昔を懐かしむというのは、それが失われてしまったか、失われつつあるからであって、今から約80年前にすでに「陰翳」―つまり影―を尊ぶ日本精神が失われつつあったことをこの本は暗示しています。そうしていまや「陰翳」は暗がりとして、忌まわしいもの、消し去るもの、すみずみまで照らし出すものとなってしまったようですが、これは日本人として残念なことだと思います。この本の中で谷崎は触れていませんが、おそらく「陰翳」は眼に見えるもの「物質性」ではなく、眼には見えないもの「霊性」と関わりをもっています。そしてさらにいえば、その意味で男ではなくて、女、男性ではなくて、女性という性とかかわっているように思います。つまり、日本文化には谷崎が男性として意識で捉えている以上に、その女性性が無意識としてうごめいているのではないでしょうか?

ひら仮名からブンガク、ロックから携帯の絵文字、男女のゲイ化に至るまで、日本文化は本質的にとても女性―すなわち霊性に近い文化であって、これは映画や小説などの説話構造、あるいは日常の生活の節々で感じるところなのではないかと思います。

もっともこういった女性性の文化形態には欠点もあります。
まず議論が不得手なところ、短文で感性的な著述の上手さに比べて、長文で理性的な著述の下手なところ、それから言葉が霊性を帯びてしまうので、言葉がその意味として機能しないところ、感性に流されやすいところ、批判が成立しないというファシズム的社会を招きやすいこと、それから「男性性への憧れ」を捨てきれないところ―したがって、大国の論理や大きな流れに弱いところ、インディペンデントな自立ではなくて、甘い依存に溺れやすいところなどがそうです。ですから、今のNEWSなどを聞いていると、そういった女性的依存の流れにたいする揺れ戻しとして、インディペンデントな人が個性として、もてはやされているようにも眺められます。手近な例では昨今ブームな「白洲 次郎」などはその一例のようにも思われます。英語、あるいは漢文、中国語にある論理性や(白洲風にいえば)「プリンシパル―原理原則」は翻訳こそすれども、ついぞ日本人に血肉化しなかったし、しないことを民族的な良さとしてとらえてきたところもあります。なぜって、プリンシパル―原理原則がないということは、それによって争わないという「平和」を保障するものだからであって、公平に見れば、ここには良い面もあれば、悪い面もあったと思われます。

☆なまけものの哲学
この本には「陰翳礼讃」のほか、いくつかの短いエッセイがおさめられています。

これらのエッセイはおそらく相互におぎないあって、観念の補填をしているものとおぼしく、どれもが日本情緒を再認識、再発見したような、「とらえ直し」の文章によって、情緒豊かに描かれます。なかでも「陰翳礼讃」のつぎに収められていた「☆惰(らいだ)の説」(☆はりっしんべんに頼)は個人的に面白く読みました。ここで、谷崎は物臭太郎に代表される「なまけもの」の哲学を擁護しています。中国でも日本でも東洋人には「なまけもの」なところがあって、それを尊ぶ文化があったようです。以下にすこしだけ見てみましょう。

「とにかくこの「物臭さ」、「億劫がり」は東洋人の特色であって、わたしはかりにこれを「東洋的☆惰」と名づける。ところでこう云う気風は、仏教や老荘の無為の思想、「なまけものの哲学」に影響されているのだろうが、実はそんな「思想」などに関係なく、もっと卑近な日常生活の諸相にゆきわたっているのであって、その根ざしはあんがいに深く、わたしたちの気候や風土、体質等に胚胎し、仏教や老荘の哲学は、むしろ、それらの環境がぎゃくに生み出したものであると考えるほうが自然にちかい」(本文より)

東洋のある時期が欧米のある歴史家によって「東洋的停滞」とよばれたことはよく知られており、今や進歩史観によって、生産性が計られる「GDP」という指標が提示され、日本人、のみならず東洋人は急激な変化にさらされています。よく考えてみれば、この「東洋的停滞」というのは、谷崎が「東洋的☆惰」と呼んだものと同じもののようです。19世紀、西洋人によって、東洋人が武力によって、かなり強引に「西洋化」され、そしてそのことの精神的外傷―トラウマ―を東洋人はいまだにひきずっています。つまり、「陰翳」を嫌うようになり、「なまけもの」ではいられなくなったことは西洋への憧れと表裏一体のようにも見えます。谷崎はそんな日本人や東洋人を、古き日本や東洋への回帰ということで、批判しているようにも読まれました☆

「陰翳」の中で、「なまけて」みるというのも、なかなか風流で優雅なことなのではないでしょうか☆
by tomozumi0032 | 2009-03-08 19:02 | 小説評論
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