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社会問題 其の七

◆女の欲望
埼玉県熊谷市で両親と息子を、灯油をまき家を放火することによって殺害した26歳の次女斉藤綾容疑者が逮捕された。周囲住民の話によれば、「ふわふわした服を着て、毎晩夜遊びをして」おり、女が通っていたバーの店員によれば、「男が3人はいた」そうだ。渋谷夫バラバラ殺人事件の三橋歌織容疑者同様の凶暴化した若い女による殺人事件だが、同世代ということでみればアメリカのPOPスターブリトニースピアーズの乱交ぶりと合い通じるものがあるように思った。清純派でデビューしたブリトニーは徐々にセクシー路線へとシフトし、現在はアルコールとドラッグの中毒者として夫と養育権をめぐる争いの渦中である。いずれも豊かさにもてあまされた自我の暴走というべきもの。アメリカのヴィクトリアン教育嘲笑世代である「ロストジェネレーション」、リチャードヘルやパンクが代弁した「ブランクジェネレーション」、最近ではクープランドの「ジェネレーションX」とか、イーストエリスが忌まわしくもPOPなヴィクトリアン回帰的幼女死体損壊レイプもので代表した―戦争なき世代の戦争であって、その中での演じられる持て余された「せんとうびしょうじょ」。それにしても当事者の事件に対する自意識のなさが、むしろ同世代感を逆説的に掻きたてる。事件は操作レベルから始まって、大したことではない日常の延長線上に展開されて、そして発達した下世話で幼稚な大衆メディアによって大事になってしまう。被害者、被疑者、見物人―これは分解可能で、置換可能なものであって、だれもが置き換わりうる可能性を孕んでいる。アイデンティティ幻想とフロイトの精神分析の終焉、近代の終わりと同時に簡単に置き換わるもの―分裂的なもの、自我というものを保証しないもの、ポスト近代のスピリチュアルゲームのように思われてしまう。結局統計学的にみれば、誰であっても同じなのだ。あなたであっても、わたしであっても、かれであっても、かのじょであっても・・・。

HEY DJ COME ON!!
―といったところか。

◆ゴミの再生学
1日付けの報道によれば、映画「不都合な真実」の活動家、米前副大統領アル・ゴア氏の家の電力が普通の家庭の20倍であったことが判明したらしい。さすがに前副大統領という立場だけに注目されて、矛盾を暴かれてしまうのだが、最近は偽善者と思われようが、なんにせよ言うほうが言わないよりはいいのではないか―と思いはじめた。個人的に環境問題の嫌いなところはそれが絶対的に正しく反論できない―というところであって、反対すれば悪人という風情が、ゴミのような服を身につけ、ゴミを投げ捨て、不法投棄を繰りかえし、世界をゴミ化させてやり、大竹のゴミアートを飾り、愛知の72歳の老人がつくりあげた現代ARTというべき美しいバランスを奏でるゴミタワーに住んでやりたい―という反逆精神に火をつけなくもないし、むしろそういった態度がこそ作家W・ギブスンが「All tomorrow`s parties(邦題 フューチャーマチック)」で描いたダンボールハウスに住む実存主義の社会学者山崎の態度同様にゴミのリサイクルという本質的な営為に思われるのだが、社会はどうにもそうは見なくて、ゴアは正しく高潔で、ゴミタワーに暮らしダンボールハウスに暮らす人々は排除されてしまうという不条理が腹立たしい。ゴミタワー住民もこれぞ環境アートだと主張すべきなのではないだろうか?むしろあの老人はゴアの権力的偽善と戦うもう一人の環境の守護アーチストではないか?

ゴミの再生学とエコロジーは価値変転にともなうヒエラルキー(支配構造秩序)の変動であるべきだ、というのがぼくの主張である。それはおそらく近代のプログラムに対する根本的な一撃だと思う。
by tomozumi0032 | 2007-03-05 18:06 | 社会問題
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