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社会問題 其の四

社会問題 其の四―

◆異常気象 世界で猛威
21日付け日本経済新聞によれば、忍び寄る温暖化の影ということで、日本は暖冬、欧米は冬として異常な高温、オーストラリアでは記録的干ばつ、ブラジルは洪水被害と、世界各地で、異変がおきているようだ。

気象庁の世界気象機関のデーター解析によれば世界の平均気温はこれまでの百年間で0・67度あがり、異常気象は最近の地球温暖化傾向が遠因とする研究者が多いそうだが、地球のこれまでの時間は40億年ある。そういった巨大なデーターに比べてみると、おおきなタームのインターバルなのか、それとも人間が考えうる限りでのインターバルなのか、というのは微妙な気もしてしまう。40億年もの時間があれば、そういった多少の変化というのはありふれたことなのだろうか?それとも―京都議定書に代表される温暖化ガスと二酸化炭素の削減目標程度のことなのだろうか?あるいは医療の進歩によって、人が生きすぎることによって生じる人工爆発と過密さが問題なのだろうか?

個人的にはみんなが長生きしすぎることが真の環境問題だと思う。
削減目標を定めても、巨大な発展途上のエネルギーが生命に向かうとすれば、削減目標が達成されたところで、時間の長短の問題であって、地球の汚染は避けられず、地球は人間で埋まってゆきはしないだろうか?

ゴミを投げ捨てない、有害物質を吐き出さない、汚い言葉を使わない、例えばこういったありたいていのエチケットは先進国のオトナのたしなみだろうけれども、そのオトナが管理システムの中で妙に子供じみてに見えてしまうというのは皮肉なところだ。ポストモダンの逆説的な論説からいえば、オトナであるが故にどうしようもなくコドモなのだろう。

環境問題はちょっと「先進国」の「洗練されたテクノロジー」の「外交ゲーム」の「手札」のように見える。つまり「排出量」を「削減」することによって、「拡大する消費主義」にそなえるってニュアンスもある―将来はBRICの急成長ではないが、22世紀の巨大な地球市場によって、さらになお巨大なモーターがうなることが予想されるので、その先手としても解釈される。

問題に賛成でも反対でもないが、ゴア元副大統領に代表される善意の精神の恰好の対象となって、「環境ファシズム」と「ナチュラル」で「ベジタリアン」な「逆潔癖症」を生むような気がする。

いちばんのエコロジーは「貧乏」をして、昔の日本人みたいに消費を最低限にとどめることだろうが、資本というメガマシーンにからめとられ、外交間のパワーゲームに参画させられる以上そうもいってはいられないところが苦しいところか― 

◆教師の暴力の禁止と性犯罪の増加
最近毎日報じられるのは教師による性犯罪だけれども、やや教師に同情的に見れば、女の子が一人二人ならまだしも、あんまりおおぜいいると、やはり教師の判断力も狂ってしまうように思う。それから、モードの流れは下着のアウター化やSEXのファッション化などSEX化しているし、雑誌にはセックスにまつわる情報が氾濫している。これはある意味では「男性の性への挑戦☆」ではないか?べつに犯罪を擁護するわけじゃない。でも―満員社会の中に押し込められ、生物学的本能のソフィスティケートされた社会進化論的ゲームのただ中にほおりこまれる現代のオスは生物として、なかなか大変だと声を大にしていいたい―「誘惑」する側の消費力としての<女性的なもの>の増大―<女性的無意識の誘惑>―社会は中性化し、ゲームは複雑になる。このゲームで禁じられるのは、暴力と性であって、これらふたつは微妙に相関関係を描いているようだ。つまり体罰が暴力として絶えず監視され告発される現実、この現実に攻撃性をストレスとして溜め込んだ教師が向かうその「捌け口」としての未成年売春へと向かうという関係。

教師による暴力が禁止されるようになったから、教師による性犯罪が増えた、という風に一概に決め付けるわけにはいかないが、ひとつのストレスの要因となっていることは間違いない。

平和で女性化し中性化した社会体の慣性。

そしてある意味ではわたしたちは「暴力という優しさ」を失ったのだろう―言葉でわかる人間もいれば、言葉ではわからず、身体でいわれてはじめてわかる人間もいる。殴ることは言葉だったが、今では残念ながら、死語の、骨抜き、放送禁止用語になった。あるいは映像で見る儀式になって、シュミレーションの中で、過激化している。

氾濫する「SEX」はこの言葉の代用言語だと思う―

◆渋谷妹バラバラ殺人
両親の手記がだされたようだけれども、まったく親の目はフシ穴だと思う。
これもまた鬱屈した欲望のエピソードだろう。

それにしてもいろいろな立場をフレキシブルに逆転させてみればいいのに、という風には思ってしまう。コドモがオトナに、オトナがコドモに、先生が生徒になったり、生徒が先生になったり、兄が妹になり、妹が兄になったり、オトコがオンナに、オンナがオトコになる。そんなことをしてみれば、もう少しお互いの立場がわかるんじゃないだろうか?分解されて分裂した世の中だからこそ、逆転した発想でやってみればいいのに―

この事件の妹と兄に代表される「POPで表象的な明るさ」と「鬱屈」と二つのエネルギーベクトルしか成り立たない社会というのはどうなのか?
二極化する社会とはこの二つのエネルギーベクトルの言い換えではないのか?
強度(レイプ)と解体(バラバラ化)にみられるように、事件は社会体のある種の身体だろうか?
そして―もしなにかしらの言葉が表現として成立するとすれば―こういった二つの「あいだ」だろうか?
それとも現実と映像の強度化にともなう言葉の表現の敗北だろうか?
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問題は地球温暖化に溶解する巨大な北極の氷のようだ―☆
by tomozumi0032 | 2007-01-27 22:06 | 社会問題
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