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毎日新聞 余禄―2006 11 3

 後漢の時代に書かれた「説文解字」はその後の漢字研究の聖典となった中国最古の字書だ。たとえば「告」の字の成り立ちについては、ものを言えない「牛」が何かを訴えるときに「口」をすり寄せてくると説明されている▲

だが中国文学者の白川静さんは上部は木の枝で、下は祝詞を入れる箱、それをささげて神に告げるから「告」だという。なぜなら「説文解字」よりはるか昔の文字成立当時の甲骨文や金文を調べると、人の口を示す「口」という文字はまだなかったのだ▲

「説文解字」にもとづく従来の漢和辞典にある字の起源は大半が間違いだと白川さんはいう。甲骨文や金文研究を通し、その文字が生み出された古代人の呪術的な精神世界に分け入り、いわば文字の霊にまで迫ったのが「白川学」の真骨頂だった▲

苦学の末の大学卒業が33歳、論文を自らガリ版にする学究生活を経て「字統」「字訓」「字通」の字書三部作に着手したのが73歳、完成が86歳の時だった。その白川さんの96歳での訃報(ふほう)は、いまや死語に近い「碩学(せきがく)」という言葉を久々に思い出させた▲

「喧噪(けんそう)のさ中にありて夜更くるにわが為(な)す業を知る者は無し」。一昨年亡くなったツル夫人にささげた歌日記の中の追想の一首だ。学園紛争中も一人研究室に通い、謡曲のテープで騒音を防いで研究に打ち込んだ日々もある。時代がどうであれ「わが為す業」への自負は揺るがなかった▲

「我は袴(はかま)君は帯高く結ひ上げて大和路の春を歩みいたりけり」は若き日の夫人との思い出である。「桂東に十年篭(こ)もりゐて三部作の字書は成りたり君よ先(ま)づ見よ」「意識絶えて今はの言(こと)は聞かざりしまた逢(あ)はむ日に懇(ねんご)ろに言へ」。春の大和路のような天国での夫妻の穏やかな語らいがまぶたに浮かぶ。
by tomozumi0032 | 2006-11-03 18:24 | NOTE
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