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徒然日々のこと―時の散歩―光学イメージ言語☆

「時」 折散歩がしたくなってしまうのは、別になにかにうんざりしてというわけでもなくって、ただ色々なものとふれ合ったり、色々なものを少し別の角度からかんじたり、色々なものをちょっと距離をおいてみたいからなのかもしれないなぁ―なんて思いながら、すこし厚手のざっくりカーディガンをひっかけて、夜毎、外へ散歩にでるのが、最近のちょっとした楽しみの「時」。
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出来たら人気のない、夜の「時」が好きで、夜遅くまで開いているCAFEがあって、現代建築が居並ぶ場所がいい―雑誌をもって、写真集をもって、ヴィジュアルブックをもって―

だって―
人気のない、夜の「時」の街は建築が建築として―すこしだけ―胸襟をはだけた姿をみせてくれ、モノが数字ではなくモノそれ自体としてメッセージをくれて、アスファルトはしとやかに沈黙を抱いているから・・・
人の寝静まった夜の街の硬質に結晶した美しさはいわれがたく思うし、その結晶の閉じ込められた鏡張りのような風景に流れる光学イメージとエナメルマネキンの幻影は夜だからこそ一際人工美に煌めいてみえるもの。人気がなくって、「虚」とした空間に投げ出される無機質なものはとても綺麗―それは人の心を冷たく遮って、そして心が及ばないところで君臨してみせて、心を支配してしまう。結局及びがたいものは及びがたいがために美しくみえるんじゃないかしら―

昼間にあるものは建築とモノと光学イメージの放蕩で、もちろん放蕩は生成変化を生み出すものだろうし、混在して、混色して、踊る数字の戯れでもあるんだろうけれども―夜は夜でまた違った表情を持つもの。
そして―
それは―秘密の「時」、だと思う。
そう―昼間の太陽の中で生成される進化もあれば、秘密の「時」に生成される進化もある。それは現実社会には区分なく収まっているものとして見えるのだけれども、本当は建築どうしが、モノどうしが、光学イメージどうしが、お互いに沈黙の「時」と言葉を共有しあっているのではないかしら―
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だから―
本当は人間はもはや残余のものなのであって、残余のものとして少しだけ彼らの「時」と言葉に混ぜてもらえるような―

そんな、
そんな散歩が楽しい―
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