カテゴリ:見出された時たちに( 5 )

其の四へもどる☆


だが―実際、とれなどしなかった。ふたりがつきあっていたあいだ、長尾ミグの成績は下へさがり、それに比例するように、神谷リサの成績も下へさがった。「リサちゃん もうすこし勉強しなさいよ!」両親にも友人にもいわれたが、神谷リサはすこしも聞く耳をもたなかった。「マジですっげぇしてるわ!―学校だけじゃなくて、科目だけじゃなくて、生きることのお勉強―愛のお勉強とか、言葉のお勉強とか、そんなことを、さ―」と股間をいじり、陰毛を抜き、抜けた陰毛をふっと吹き飛ばしながら答えるだけだった。長尾ミグと神谷リサは「股間の不等式」を学びあった。「精液と愛液の修辞学」を教えあい、「エヴィアンなラヴジュースとカルピスのスペルマのディベート」をじょじょに覚えていった。それは楽しく魅惑的な課外授業だった。酸っぱいが甘く、やわらかいがかたかった。珠をむすぶ汗が全身から噴き、ぬるぬるの身をよじり、さわやかさとべたべたさ、快楽と不快とが光と影のたわむれのように交錯した。神谷 リサはその授業のなかで、快楽が不快を前提としていること、「超気持ちいい」は「超気持ち悪い」を前提としていることを学んだ。エクスタシーや快楽はあやうく、不安定なものであり、あやうく不安定であればあるほどに、なおひときわ激しく燃えさかるものなのだ。快楽は嫌悪感―つまり、自分がいやだったり、気持ちがわるかったり、くるしいかったりすることを糧にして、人工ホログラムのように鮮明だが、どこか儚く、実体なく、さかんに投射されては、はげしく燃えさかるのだった。《セックスの舞台では「きれいはきたなく、きたないはきれい」なんだ》―と、神谷リサはまたマクベスの一節をくりかえし思った。でも、自分がほんとうに好きな瞬間は、そういった生き物として、裸の♂(おす)♀(めす)の液体を搾り合うテクノロジカルで快楽的な性愛の行為そのものよりも、セックスが終わったあとで長尾ミグの腕の中にくるまれて、彼のはなしてくれるさまざまな物語に聴き入ることなのだということに気づきはじめた。長尾ミグはさまざまな物語をはなした。自分のこと、人のこと、昨日のこと、今日のこと、明日のこと、楽しかったことや辛かったこと、哀しかったこと、自分のよろこびや悲しみ、なにがうれしく、なにが哀しかったのか、自分がなにを美しいと感じ、なにを美しくないと感じるのか、よろこびと哀しみ、希望と絶望―を包み隠さずに、心の底からありのまま、耳もとで囁かれると、神谷リサの心は夢見ごこちをふわふわ漂うのだった。長尾ミグのはなしはカラフルで魅惑的だった。時に生物進化の歴史をうそぶいて、輪廻転生のそれだったことをもの語った。むかしむかし、大昔の隕石に乗って宇宙を放浪する生命の彷徨い、地球に落ちて増殖をはじめたプランクトンだった頃の自分をまことしやかに語った。そのころ、生きとし生けるものたちのセックスはひとつで、生き物は自己分裂によって自己増殖した。それから、セックスが分化し、オスメスの区別とその交わりによって増殖するようになったこと、快楽は他者によってもたらされるようになった、時代はすすんで生命フォルムの分化の大爆発、生命が多様なフォルムを結び、それをおもいおもいに表現するようになったこと、地を這いずりまわるゴキブリだったこと、ダニの苦悩、銀蝿の尻のメタリックに熟れた悩ましい美しさに恋したこと、魚類の群生物語、恐竜支配におびえ、明日も知れぬまま、必死でその日を暮らす哺乳類だったこと、手をはじめてつかえるようになったAPEのじんわりとした悦び、人間という「種」の進化、生命連鎖の頂点の君臨と驕り、宇宙人との遭遇、大陸を放浪するアフリカ人、やがて国家の礎を築いたメソポタミア人、ローマ帝国、金で売買された黒人奴隷の憂鬱、人間という虫けらだったこと、五石散という合成麻薬を呑みふけり、女装して空騒ぎする中国人書家たちだったこと、ナスカの太陽王、スペイン帝国の軍人として、正義感にもえ、キリスト的使命に死んだこと。産業革命とフランス革命の人類史的な爆発、ヨーロッパの台頭、東洋的停滞と揶揄された阿片戦争時、国の滅びるのを笑って阿片窟でオピウムの恍惚におぼれて死んだ中国宦官の物語、大正ロマンチシズムに酔う日本のハイカラ女性で詩を詠み、色恋沙汰に身も狂わんばかりに興じたこと。民主国家アメリカと共産主義国家ソ連の東西にわかれた冷戦、膨大な核兵器の製造、核テクノロジーの生み出す「人類皆殺し」の冷たさ、人類は誰もみな平等にこれから殺されることができるものとして生存していること、あるいは人類は誰もみな平等に生存を担保に入れられていること、つまり核抑止による管理プログラムとしての生、そののち、西側、資本主義陣営の勝利とその結果、統制を欠いてますます複雑で不安定にナショナリティーを主張する国々の争い、アメリカの衰退、ヨーロッパの通貨統合、中国とロシアの台頭と逼迫する資源と辺境の抑圧、地球環境の問題、多様で複雑に織りあげられ、それだからこそ不安定に揺らぐ価値観、あやうい不安定さの中で結ばれる快楽はデジタルエクスタシーのちいさな小爆発となって、人々を支配していること……そして、今、こうやってここにいること……ロシアの作家のように、物質文明における精神文化の貧しさを長尾ミグは哀しんだ。長尾ミグによれば、世界は相対であり、どれがいいとも悪いともいえず、命の価値はあくまでその時代の価値というあやふやな価値の体系によって、定義づけられているにすぎない。人間はおおきな逆説を孕んで生きており、その逆説は時に人間をおびやかすものだ。価値はひとつではない!―と長尾ミグは力強く、自信たっぷりに言い切ってみせるのだった。逆に神谷リサが長尾ミグを腕の中にくるんでやり、話をすることもあった。たあいもないこと、傷ついたこと、自分の命の価値への疑い、この世界の美しさ、光と影のコントラスト、フラットな中間地帯―グレーゾーンのメタリックな輝き、遠近法、近いものと遠いものの関係などを長尾ミグほど上手ではなかったが、身振り手振りをまじえて、精一杯話した。いままで使ったことのない言葉の使い方で、それは不思議な効果をもたらすものだった。不思議な事に言葉は神谷リサの心を癒した。言葉のなかで現実世界は言葉へとおきかえられ、もうひとつの世界となった。そしてそこにいる自分を発見して、癒された。《言葉の現実こそが自分の生きている世界なのだ》―と神谷リサは思うのだった。
    ☆
長尾ミグはそのうち学校へゆかなくなった。
ヤドカリのように、部屋に引きこもり、閉じこもったまま、部屋から一歩もでなくなった。教師も長尾の両親も「困った困った」といって、あれこれと策を弄したが、長尾ミグの心に届くことはなかった。届くはずもなかった。長尾ミグは心の底で教師や両親の低脳さと社会を軽蔑していたからだ。「単細胞生物ども!」と長尾ミグは彼らを称した。そして神谷リサに向かって、こんな低脳で幼稚な社会に生きなければいけない自分の哀しさを切々と説いた。その頃から長尾ミグはさかんに「生まれる場所を間違えた」というようになった。「こんな「退屈」な―こんな「期待」と「不安」に宙吊り」にされた―こんな「Mッ気」たっぷりの―こんな「平凡」で―こんな「単細胞生物」の―こんな「自己分裂」と「自己増殖」な―こんな「大国によって核管理」された―こんな「情報を解釈することによって成り立つ大衆管理社会」の―こんな「平和に腐った人々たち」へと身を躍らせることは苦痛でしかないんだ、ぼくには…」と長尾ミグはそう言った。それから熱をこめて、「こんな「社会」には生きる価値なんて、すこしもない!」と結論づけて言い切った。神谷リサがどんなに「そんなことはないわ!おいしいものだって食べられるし、気持ちいいセックスだってできるじゃない!むかしの貴族よりもっと巧みなお洒落もできるし、アニメだって、映画だってロックだってあるわ!」といってもムダだった。長尾ミグは暗い目で「神谷、わかってないな、快楽はぼくの問題じゃないんだよ…」と遠く呟くばかりだった。そうして、毒ムカデに噛まれたように彼は孤独に引きこもり、閉じこもって、机に齧りついては、数学による宇宙の解明にいそしんでいた。ある時―「長尾さぁ…それにしても、管理されていたほうが楽じゃない?なんでそんな苦しくて大変なことをやりたがるの?自分を捨てて、おおきなシステムに身を任せて、いうことをきいてたほうが楽に生きられるわよ きっと―」と神谷リサは見かねて長尾ミグにアドバイスをした。だが、長尾ミグは「けっ 生の堕落だね!」と声を張り上げて答えた。「いいじゃん!堕落だって―みんな堕落んなか生きてんじゃん!しょせんそんなもんじゃんか ぼくもきみも、人間なんて―まじ」「や―だね。つか―ん、なのなら…死んだほうがよっぽどましだし…」あごをふんと突き上げる長尾ミグはかたくなだった。それから神谷リサは微妙な軽蔑の視線を日々感じるようになった。それは男が女に対する潜在的な軽蔑のたいがいを含んだ軽蔑―つまり女という性そのものへの軽蔑、生命への軽蔑、体への軽蔑、形而上ではなくて形而下への軽蔑…やがて、そんな長尾ミグといつも一緒にいる神谷リサが気づいたことは、長尾ミグは言葉の両義的で曖昧な詩情を頭で受け入れながらも、体では好まないということだった。長尾ミグの体の快楽と好みはなんといっても明晰さだった。神谷リサには長尾ミグがそれに囚われすぎているように見える。長尾ミグにとって、問いはひとつの答えとして、明らかに表現されなければならなかった。そうでなければ、表現されないも同様なのだった。もっとも、そうしなければ、長尾ミグは自分が自分でなくなってしまうように思っていて、時々、そう思いこんでいるだけのように神谷リサには見えてしまう。神谷リサは部屋から帰るとき、長尾ミグの背中を見た。それは小さく見えた。子供のようだった。それは神谷リサの脳裏に、子供ががんばって、強がって、自立した自分であろうとしている「哀しい背中」として焼きつくのだった。
    ☆
「ちょっとした心の変化―なんだけどなぁ~…もう少し自分が自分でなくなることを覚えればいいのになぁ~…」

自分の部屋へ帰って、ひとり、頬杖をついて、長方形の窓から、闇に揺る梢のざわめきをみつめ、溜め息にまじりに言葉をついた。神谷リサの不満は長尾ミグの人をよせつけない孤独だった。心の奥で彼のことを「不幸な男」だと思う。そして彼を愛した自分は「不幸な女」だとも―。神谷リサは自分を明け渡すことをいとわないが、長尾ミグはけして誰にも自分を明け渡すことができない心の場所を大切に守っている。それが神谷リサにはよくわからない。体のレベルでどんなに接近してみても、唇を重ね、股間をこすりつけ合い、快楽に身をなぶり、体液と体液とを混ぜ合わせてみても、彼がその場所を明け渡してくれない限り、やっぱり二人はひとつにはなれない。《「男と女」ってそんなものなのかしら?―孤独はけして癒されることがなく、恋や愛は束の間の幻想として見えるだけのお芝居にすぎないものなのかしら?―》そう思うと神谷リサはさびしかった。癒されがたい自らの存在を思ったからだ。そうしてもう少しあとになって、もう少し経験を重ねてみた後で、神谷リサは長尾ミグの「哀しい背中」に囚われている自分自身をほろ苦い思いで見つけて、自虐的にそれに酔うのだった。その時―神谷リサは、自分が生きるということの中には、けして誰とも分け合えない心の場所があるのだということを体で理解した。それは痛くて辛いことだったが、長尾ミグというフィルターを通さなければ、生涯、理解することのできなかったものかもしれなかった。自分は甘いキャンディばかりに酔いしれた子供から苦味や妙味のわかる大人になったんだ―とすこしの間だけ考えたが、それも束の間のことですぐにまた子供にもどってしまう。それは、社会や文化が「まだ子供でいなさい」、「大人になんてなるもんじゃありません」とみんなでよってたかって言っているようなものだったからだ。「大人」は人々が「子供」であることを担保にして、良識を組み立てているようなものだった。「ちェッ!社会ってやつァ!ほんと 糞…ばか、ガキ、みんな死ね、ファック…」―と、神谷リサは頬杖をついたまま、苦々しい思いで、社会をファックよばわりするのだった。それでも反面では、ずっと神谷リサは子供でいることにとどまっていたい、みんなと一緒にいたい、ラブリーでスィートでキュートでチャーミングな自分でいたい、みんなに愛されたいという願望も捨てきれなかった。結局、神谷リサはその二つのあいだで引き裂かれ、その時々の空気にあう自分の心を選択し、自分を演じわけて見せるのだった。 

其の六へつづく☆
其の三へもどる―

―神谷 リサは祈るような気持ちでねがいをくりかえした。だが、物理的な次元の問題として、時間がとまるはずもなかった。ながれゆく時間は長尾ミグと神谷リサの唇を重ね、甘酸っぱい感触を現実に召還させてみせた。1度かさなった唇は2度、3度と回をまし、そのたびごとに深まると、心を甘くこわし、自分というものをなりたたせる言葉の基礎構造―そこに結ばれた言葉のリボンをやさしくほどいて見せた。その時、神谷リサは長尾 ミグの瞳をのぞきこんで、その奥にぎらりとひらめく欲望のレーザービームを見た。そしてそれが自分のハートを射抜くのがわかった。からだの物理反応がうれしかった。頭を長尾 ミグのおなかのあいだにたおすと、後頭部に「こつり」―と、なにか固いものがあたった。それは神谷リサにからだにはないものだった。感覚知覚の次元において、神谷リサの知覚はおしなべて、やわらかさの知覚でできていたから、その「こつり」と固い知覚は性のちがい、性差―セックス以外のなにものでもなかった。柔らかさと固さ―相反するものの相互作用。熱っぽくのぞきこむ長尾ミグの瞳のずっと奥底に神谷リサは「恋の不等式」を見た。神谷リサの心は、頭のうしろにあたる長尾ミグの固い部分と接吻の魔力に身も心もとろとろにとろけてしまっていた。やがて耳元に唇をよせて、長尾ミグは神谷リサがながいあいだ待ちわびていた、決定的な一言をささやいた時、《YES!》―と、そう神谷リサは思うのだった。「神谷 だいすき…」みじかく甘い声で、長尾 ミグはささやく。その神谷リサにとって、意外な、だけれども熱っぽい言葉を感じやすい耳から、からだの中へぎゅっと押し込められると、神谷リサの心は「ぱん!」とかわいた音をたてて弾けとんだ。瞬間、神谷リサは心が愛の流星群となって、7色の光とともに時雨れてゆくのが見えた。それは甘酸っぱく、彼女の心をくすぐった。神谷リサはくすくす笑い転げながら、まといきれないほどの幸せのチャームを纏って、長尾ミグの心がわりをつついた。「…でも ぼく3次元の人よ、長尾ってさ、2次元の人じゃなきゃイヤって、そういっていたわよね、たしか―」たしかに長尾ミグの心がわりは沈黙がもたらしたものだった。心ほだされるおだやかで、ふたり共有される時間がすぎ、時から時をわたって、すこしづつふたりを隔てていた距離は消えた。からだと心の距離が近づいてゆけば、頭と頭の距離はそれほどおおきなものではなかったのである。長尾ミグはなんにも言わずに、顔を赤くし、口を尖らせてから、ぶぅ!―と唾を飛ばした。複雑ななんともいえないような顔をして、目をほそめ、横目で神谷リサを見た。《長尾ってなんて可愛いいのかしら、身も体もとろけそうね》―と、神谷リサは自分にむかって言う。それから、しばらくのあいだ、心が熱にバターのようにとけて、なにもかもがどうでもよくなった。《時の流れに身をまかせ、彼といっしょにいる時間をからだの細胞すべてを総動員して楽しもう》―しばらくだけ、神谷リサは思うのだった。《自分は長尾 ミグの掌に堕ちるんだなぁ~…、快楽に殺されんだなぁ~》―そうダイレクトに感じながらも、神谷リサの意識は墜ちゆくそのスピードを愉しみ、官能の熱に悦び、そのスピードと熱を頭のなかで分離させ、架空の舞台をあたえて対象ABと名づけ、それを展開させてみるのだった。そこで抽出された快楽は具体的になにをするのかという次元でのあれこれを問わず、おなじようなものなのだった。そうやって、墜落する自分の堕天使の悦びを、細胞がひくつくような、本能がインストールされたプログラムさながらに駆けてゆくよろこびを、神谷リサはただ冷静にみまもった。ジッパーを下げる金属音がして、長尾 ミグは固くなったペニスをジッパーの間から、あわただしくつたない指の動きで、ぺろん―ととりだす。金属の歯のようなジッパーのきらめきが順をおってひるがえり、規則的に目を刺してゆく。ペニスはジッパーの歯のむれ、股間という口からとりだされたもうひとつの舌めくのだった。だが、それは舌にくらべると、より人工的に見えた。それはなんだか、アニメのフィギュアの肉のかけらのよう見えてしまって、現実感がなかった。だいたい快楽というものは人工的なものだ―だから、「リアル」な肉のかけらが「ヴァーチャル」なフィギュアに見えちゃうのもしょうがないようにも思う。「なに それ?」「え?…あ、うん。かたくなっちゃった これ―やわらかくしてくれない?」のぼりくる熱にすっかり溶かされて、切なく啼くような、すぐに消え入ってしまいそうな長尾 ミグの声がした。《こいつ いきなり「フェラチオ」かよ》―と、胸内で呟いて、長尾ミグをのぞきこんだ。長尾 ミグは甘えるような媚態をつくっていた。「…長尾 キミってさぁ…女みたいなんだね―」神谷リサはいいながら、ペニスをしとやかに握りしめたその後で、唇をひらいて、そのあいだにペニスをすべりこませると、つたないしぐさで、それをしゃぶった。あ―と長尾 ミグは声ならぬ声を洩らし、後ろへ首をのけぞらし、体をそらしながらも、手を神谷リサのワイシャツのあいだにさしいれ、ブラジャーから乳房をむきだした。すぐにふたりは、座っていられなくなってしまった。それで、やんわりと抱きしめあって、ガードレールのしたに転がり落ちて、そのまま「ころころ」、ニッコウキスゲの花畑までいたると、緊張の反動からか、ふたり、おでこをくっつけて、おおきな声でくすくす笑いあった。おっぱいとおちんちんがひょっこりと出ていた。それを見ると、なんだかよくわからなかったが、意味もなくおかしかった。はだかや、自分がずっと自分のものとして隠し持っている性器が、実はおかしなもので、セックス―性差そのものって、なんだかとってもおかしなものなのかもしれない―と神谷リサはそう思うのだった。同時に、人の裸、ペニス、おっぱい、それに陰毛やおまんこ―どうしてふだん人はそれをなにかやましいもののように、隠して生きていなければならないのだろう?―と、社会の逆説を思った。社会は自分のはだかを禁じることでなりたっている。はだかはスキャンダラスなのだ。でも―どうして、自分が自分の身体をもっているという当たり前のことがスキャンダラスになるんだろう?どうして、社会は自分は自分を裸であってはいけないものとして禁止するんだろう?自分が自分のはだかを否定することによって、子供は大人になるとでもいうのだろうか?神谷リサは言った。

「ねぇ 長尾、愛とか恋とかってなんだかおかしいわよね。ほんとは、はだか、つまり性差―セックスだって、なんだか、おかしくて、笑っちゃうものだと思うんだけれど―」

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はりだした太平洋高気圧にすっぽりとおおわれて、青空からおおきな積乱雲が見おろし、よどみない風が駆け、草いきれをさらい、咲き乱れるニッコウキスゲの重たげなこうべたちをいっせいに揺らしてゆく。淡い花の香がただよい、風にのって鼻さきをうって、それから青空へ溶けて消えていった―重なった影を揺らして、もういちど、神谷リサはくすくす笑い転げた。それから、二人は花畑にころがったまま、積乱雲をながめて、たあいもないことに言葉をからませて、空中にほおりなげた。「長尾って―長尾のちんぽって、まだ固いまま?」「まだ すこしだけ、ね。でも、もう、しゃぶらなくってもいいよー」「ねぇ なんで、ちんぽってそんなオモチャみたいなフォルムしてるのよ?―正直、変ね、きもちわるいし―だいたい、グロテスクよ、それ。まぁ おんなのおまんこもグロイけど―ね。ねぇ 長尾、人間のからだって、どうしてちゃんとしたカタチじゃないの?ときどき思うわ。にんげん、もう少しマシなものつけて進化してくれればよかったのにな―って。考えてみれば変なの―おかしいのよ。指が5本であることも、足が2本であることも、頭がひとつであることも、目が2つであることも、耳がこんなこんがらがったかたちであることも、ちんぽやまんこがこんな未発達で太古の海洋生物の痕跡をとどめたフォルムにいまだ甘んじていることも―ぜんぶ変よ、それでいて変なくせに、変じゃないと思いこんでる」
 「うん―でも、それだから文明や男女のあいだのパラドックスが発達したんだろ。文化や文明の歴史っていうのは、そのほとんどが変なことを変ではないって証明する―その「結論なき過程」みたいなもんだろ―」「さすが、ご名答。じゃあ…ドクターホーキンスみたいに、それ、数学的に数式で証明してみせてよ―できるでしょ 長尾、キミ あたまいいから―」「それは、難しい難問で、僕にはできないなぁ…」「お願い してみせて。「だいすき」っていったボクのために、ねぇ おねがいだから―」「ちんぽの数式?まんこの方程式?―できるわけないじゃんかよ」
「なんでよ じゃあ「フェラチオの不等式」ってのはどうかしら?これって関係性を扱うし、大なり小なりの記号がしゃぶる口だと仮定してみるとか―けっこうイケんじゃない?」「それつくってどうするの?」「先生に見せてみたら?テストの時、テストの答案用紙のすみに書き入れてみるとか―ちんぽのカタチに数字で描くとかやって」「それでいい点とれるのかなぁ」「とれるわよ、きっとー」

神谷リサは自信まんまんに答えた。

其の五へつづく―
其の二へもどる―

 ☆
高校で、神谷リサは超痛く、ハイパー切ない恋に落ちた。菜の花が黄色い絨緞を風景に刺繍し、数え切れないつくしたちが顔をだし、桜が咲き乱れ、黄金虫が金属質な体躯をきらめかせ、ひらひらと蝶たちがたわむれ、くっついたり離れたりしながら、花の蜜をながく渦巻く嘴で吸い上げていた。相手は入っていた「詩吟クラブ」で一緒にクラブ活動をしていた「長尾ミグ」という男だった。甘えん坊でハンサム、綺麗な曲線をくねらせる鳳凰眼、髪が長く、声がよくスピーチで人を酔わせることができ、オーバーサイズのワイシャツをダボダボにたらして着こなした灰色の制服がよく似合う男だった。長い髪をかきあげるときに、その髪をすいて、エロティックに上目づかいで見上げる癖があった。ひょろりとして背が高く、いつもいるのか、いないのかわからなくなるぐらい激しく点滅して見え、鼈甲の洒落たマルめがねをかけ、力強く優しい声で文章を朗読をするのが好きだった。みながいうように、長尾ミグはどこか気難しく、とりつきにくかった。ほとんど誰ともまじわろうとはせず、いつも一人で思案にくれたり、クラスメートどころか日本人がだれひとりとして読んでいないような本を読んだり、ぽかん―とゆき過ぎるままの雲をながめたり、授業中だというのに校舎の片すみで眠りこけたりしていた。彼はクラスのだれより物知りだった。先生をバカにし、ときどき議論をふっかけて対立し、はげしく討論し、そして最後に言葉でやりこめてしまうので、いやいや まいったなぁ―といわれながら教師から敬遠されるのだった。「こんな低脳でつまらないことにつきあってらんねぇ!」―と両手と中指を突き出して、シュプレヒコールを挙げ、教師にむかって固く舌を突き出してみせたが、そのくせ授業にだけはやってきて、テストでよい点をとるのだった。クラスメートは「まったくよくわがんねぇヤツだんべ」―と、彼を称していった。「詩吟クラブ」では、大正の大詩人の妖しい詩や南米のシュールレアリストの詩、それに自作の実験的で断片的な詩をなにかにとりつかれたように真剣に読み上げて、クラブのみんなをびっくり酔わせた。そんなとき、長尾ミグは学校で見せるどんな表情よりも生き生きとしていて、楽しげにかがやいて見せ、神谷リサのいたいけな心を刺激的にくすぐるのだった。「詩吟クラブ」の女子は「あの人なんだかよくわかんねぇ、むっつかしい本ばっかり読みふけっとって、それなのによ、それが楽しいようだからざ、リサちゃんにはぴったしそうだな」―といって、無邪気にはやし立てた。それからなんとなく意識するようになった。意識ははじめ、もやりたつただの熱にすぎなかったが、時がくりかえされて、すこしづつ凝縮され、純度をあげ、結晶されてゆくにしたがって、きらきらとまばゆい輝きの感情をひきおこすようになった。心がときめき、胸がきらきらした。神谷リサは、もしかすると、これが「恋」ってものなのかしらん、もしかして―と自問自答して、感情を名づけようとしたが、すぐにあわてて、これは「恋」じゃないわね こんなのって―と打ち消した。だが、わだまる熱そのものまでは打ち消すことはできなかった。それは心の底にふいに生まれて、すこしづつフォルムをかえ、熱をおびてゆく宝石の原石とその純化プロセスのようだったが、まだ自分で自分の変化をきちんと受けとめることのできない少女の心は見るたびごとに表情をかえ、不安と戸惑いを不純にはらんだ、精錬されることのないその原石を持ちあぐね、名づけあぐねるのだった。実際のところ、神谷リサの頭はピンク色でいっぱいに、目はおもわずハートマークに、心は原石の放つ粗熱でいっぱいになってしまうことがおおくなっていた。熱は心をとろかして、こぼれおち、あふれ、たぎるととめどもなかった。それで―おもわず、神谷リサは挙動不審になった。とるにたりない些細なことであたふた戸惑った。ふらふら幻に魅かれて自分でもよくわからない行動をとった。電信柱によく頭をぶつけるようになって、電信柱に「すんません!もうしませんから―」と謝った。なにをするのもうわの空だった。これまで、す―と耳にはいった親の声も、ほんとうはなんでもないような女友達のカラ騒ぎも、コカコーラの炭酸の泡のように刺激的なロックの歌詞も神谷リサの心をすり抜けていってしまった。そんな状態におちいってみて、ようやく神谷リサはこれが「恋」だということを、自分は「恋わずらい」にかかってしまったことを―しぶしぶながらも、認めるのだった。いちど認めると、これまで悩まされてきた葛藤がきえ、すっとした。素直に《ずっとずっと今の「まんま」、ずっとずっとこんな風に恋する「まんま」でいれたらいいのいなぁ―》と浮きおどるような足取りで、ふわふわ、ふらふら思った。生活に変化があらわれた。迷い、とまどい、逡巡して、自分を不確かであやふやなものだと思うようになった。それまでしなかったうすい化粧をして、女の色艶をてからせ、鏡の前で笑顔をきたえ、つながっている眉毛を揺れる思いでみつめ、長いまつげをカールさせて、目を少女漫画の主人公のように星クズでうずめて、彼の前で今までの彼女のなかでいちばん綺麗にきらめく自分をいじましくよそをった。ただきらめく感情を表現してみたかったのだった。でも、反面、彼個人にたいすると、無関心で、特別な感情をいだいていない風にふる舞ってみせてしまう。クラブの朗読の時間には、なんの欲望もない、言葉と記号の世界の住民のように冷めた口調で太古の中国の詩人の詠んだ「愛の詩」を淡々と朗読してみせた。そうしながらも彼の視線に、びくり―と、とくべつ敏感に反応する自分を自分自身のうちに見出すのは、苦痛めいた快楽だった。《いつでも恋はアンヴィヴァレント、あれもこれも、両方なもんなんだもの―》と神谷リサはそうつぶやく。彼の視線の中に「ある」自分は今までの自分自身ではない全くみずしらずの自分であるように神谷リサには思われるのだった。それはなによりもミグの視界のなかに位置づけられてのことだった。だから、いくら落ち着いて冷静に考えてみても、その分身のような自分の「あり方」、そのじぶんの存在モードに恋焦がれているのか、それともミグというフィジカルな対象に恋焦がれているのか、彼という鏡を反射させることによって、そこに映っている自分の影がいとおしいのか、それともミグという男それ自体がいとおしいのか―神谷リサにはもうひとつよく理解できないのだった。ただ恋は自分が自分としていつもイメージしてきたものをいとも脆く、いとも簡単に、壊してしまうものなのだ―ということを踊るような気持ちで実感した。

《…そっか 自分を壊すのは簡単ことなのね―それは恋の魔力のひとつなのね―》

神谷リサはその時実感とともに知るのだった。
    ☆
ところで、その恋は流星のきらめきに落ちた。夜になると、宇宙風に乗って周期的に流星群がやってきて、青白い星たちを惜しげなく降らせたその年の夏、神谷リサは「ラブレター」を書いて、恋する思いと乙女の愛を告げた。とにもかくにもー神谷リサはそうしなければ気がすまなかった。便箋に思いのたけをしたため、その心象風景を七色の絵にえがいた。そしてそれをコピーすると、ひとつは恋の鏡に映るイマジネーションの分身の自分自身へ、それからもうひとつは現実の長尾 ミグの正方形のゲタ箱の中へと送った。なんとはなしに自分に気がなくはないかも―という「微妙な感じ」はあった。ときおり、ふたり一緒になることがあった学校からの帰り道―タンボの脇の畦道を本や映画や音楽や現代美術の話に花を咲かせながら歩いたし、その話の結果、ある意味で単純なところのある長尾ミグという機械の「でき型」ぐらいは見通して、だいたい操作することができるように思われたからだ。《なんだか 「性のちがい」―セックスとしての女のホルモン分泌にくらべると男のホルモン分泌には単純な性質があるようね》浮き立つような思いの中でも冷静な観察眼を発揮して、神谷リサは男と女の性のちがいの磁力と恋の魔術をとき明かしてやろうとぎりぎり歯ぎしりをした。神谷リサにとって、男というセックス―それは可愛さと少しのおろかさの印象をふくんでいて、女というセックスに共鳴し、女に母性本能と母の感情をよびおこさせるものだった。恋の中であっても女であることの中にはどこかしら母の感情に似た感情があると神谷リサは感じるのだった。「愛し、愛されたい」ー《つつみ込んで、固いものを溶かしてしまいたい、そしてそれが滞ることなく機能する時、女は母になるのだろうなぁ~》―と神谷リサは吹くような自らの愛のうちにその愛の結末を予感した。母とはつつみ、溶かす無償の愛だ。現実で子供がいてもいなくても、女の愛にはどこかしら母の愛と共通項でくくれる要素があるのではないのかしら?だから、たしかにスポーツ新聞の見出しをかざり、じつはひとびとの心の奥底の暗闇のうちに揶揄され、不倫疑惑が週刊誌が涎をたらして待つ大スキャンダルとなるように、恋は盲目で愛はおろかなもの。そして人は盲目でおろかなものが好きなんだわ、恋と愛がひとびとの好奇と興味の対象にならない日がないのはそれが盲目でおろかだからー「…でも―でもねっ!―逆に肯定的にいえば、恋や愛に溺れるのは自分がおろかであることを知るためなのかもしれないじゃない―だから、あたまのいい人は愛のおろかさを知らないからバカなのよ!そしておろかであることの甘さはなんて甘いのかしら、甘い人生、LA DOLCE VITAね。おろかであることに溺れてなにが悪いって言うの!」
神谷リサは頭を垂れて、熱っぽい思いに囚われて、ぶつくさぶつくさひとり呟きながら歩くのだった。視界がせばまり、あまり前がみえていなかった。いつの間にやら、電信柱が目の前にあった。はッ!―と気づくと、時はすでに遅かった。頭が、ごッつん!―とそう言った。視界がまっ白になった。かろうじて、6歩ほど、後ろ歩きでよろめき、ぺたん―と尻餅をついた。それから目の前をさかんにとびかう蛍光色の流星群と宇宙塵のまたたきを見たが、自分の目が「☆」のかたちをしていたことには気がつかなかった。金ぴかの装飾をしたトラックが道路をすぎ、そこから垂れパンダのサングラスをかけたパンチパーマの男が顔をだして、「あぶねぇぞ ねぇちゃん ばっきゃろお!」と怒鳴っていったのがすこしづつ取り戻されてゆく視界の中にかろうじて映るのだった。
   ☆
神谷リサのとらえた「微妙な感じ」はおおむね、間違いはなかった。つまり、長尾 ミグは神谷リサに惹かれていたし、ほのかならない恋心を抱いていた。ラブレターを渡した次の日に呼び出した長尾ミグは「んじゃ よろしく…」といって、頬を赤らめ、両手をひろげて、まばゆそうにはにかんでみせた。それでつきあうことになった。でも、それからしばらくつきあってみて、長尾 ミグはやっぱり次男で甘えん坊で恋愛に受け身で優柔不断なのだった。いつも感情を名づけあぐね、態度をきめあぐね、愛を告げあぐねているように神谷リサには印象づけられた。いつも点滅しているように見えちゃうのは「だから」だった。本当にその気になれば、りんとした調子で恋のセリフを読み上げることだって、冷たい目くばせでいたいけな女子の恋の自爆装置を起動させることだって、女心を手玉にとって弄ぶことだって簡単にできるのに―それなのに、長尾ミグはそういった意思を露ほどもみせず、うだりあがった熱っぽい視線で活字ばかり眺めているのだ。晴れて恋が成就して、体面上は、二人の間で体や心のすみずみまでも心おきなく触れ合える関係がむすばれても、いっこうに変わる気配すらなく、長尾ミグは活字ばかりを相手にして、神谷リサの心も体も深くまさぐって、意地悪にいじくりまわしたり、奔放でイマジネーション豊かに弄んでしてみたりしないのだった。デートをしても神谷リサの体にはほとんど触れず、なにか「生臭いもの」をみるような視線で、コピーマシンの蛍光光のように上から下までパパッとスキャンするばかりなのだった。《つめたぁ~い こいつ…長尾って、なんてやつなの》―と神谷リサは感じた。同時に氷の冷たさが燃え立たせる「愛の炎」のパラドクスを思った。愛は氷で空虚に燃え立つものだ。頭ではわかった。そうかもしれない。でも、やっぱり、神谷リサのからだはついてこなかった。「もっと見て欲しいのに―もっと深く動物みたく愛して欲しいのに―もっと神谷をメチャクチャにして狂わせて欲しいのに―どうして記号を見るように神谷を見るのだろう―神谷はファッションの組み合わせなんかじゃないのに―神谷のきたなくて、はずかしいところを見て欲しいのに―服なんてどうでもいいのに―」神谷リサのからだは押さえがたく、そう言うのだった。神谷リサは長尾ミグの煮え切らない態度に自分はきたない、女はきたない、女性というセックスはきたないと思われ、さげすまれているような気がしていたのだった。それは女として女と認めてもらえないみじめさをふくんでいた。それで、神谷リサは「きたないはきれい、きれいはきたない」―とシェークスピアのマクベスの一節をなんどもなんども口にだして呟き、みずからをなぐさめた。それから、少しセックスに大胆でアグレシヴに仕掛けてみるようになった。デートの時、セックスのちがいをアピールした深いV字のシャツを着て、胸の谷間をつくった。胸をおしつけて、頬をよせた。生臭い、生物の吐息をはいて、浴びせかけた。カヒミ カリィのような、ウィスパーな囁き声で耳元をくすぐってみた。―が、どれもダメだった。いや、むしろ長尾ミグは以前よりも露骨に神谷リサを避けるような素振りさえみせたので、神谷リサはなにがよくって、なにがわるいのか、すっかりわからなくなって、内心、雲をつかむような気持ちに打ちひしがれるのだった。複雑な連立方程式よりも微妙で答えの難しい問題―それは筆記と頭ではなくて、心とからだの問題なのである。だから、しばらくのちに彼の部屋によばれて、友人にもあまり明かすことのない「2次元趣味」と「世界への苦しみ」とが明らかになったとき、はじめて神谷リサはしみじみと、長尾ミグの隠された性癖と性質の印象派の色彩のようなその微妙さ、そのむづかしさを理解するのだった。そのとき、男ごころを単純で操作可能、答えが明確なものと考えていた自分はあさはかだったのだと、ちょっぴりわかった。ちょっぴり悔しかったが、事実そうなので仕方なかった。ホワイトノイズのような蝉時雨けたたむ長尾ミグの部屋は数学モデルの構造でうめつくされ、数学の詩でかざられ、現実世界の次元数をおきかえてやろうとする無意識のたくらみにみちたものだった。部屋は、長尾 ミグの優柔不断な性質とはちょうどさかさまに、なにもかもがあからさまに目に見え、曖昧であることを拒否し、グラフィカルで明晰だった。神谷リサはそこでいつもよりも明晰なものとして意識される自分のからだのフォルムを知った。からだに関する意識とは空間に対応して知覚される。この部屋ではからだの線をあらわせる黒い服がいちばんね―と、神谷リサは心の中でそう呟いた。「まだ誰にも話したことがなくって、君にだけいうんだけど…」―とまえおきをしたうえで、長尾ミグは黒い長方形のノートをとりだすと、次元数をめぐる自分の認識を、顔を赤く染めて、でも優しく、しっとりとした調子で説明した。やがて熱がこもった。顔を赤くしたのは恥ずかしいからではなく、時をおいてやってくる熱をはじめにしめしていたからだったことに神谷リサは気がついた。長尾ミグの考える世界は奥ゆきと遠近法を欠き、のっぺり平面で、次元数をこの次元から1次元うしろへもどらさせたものだった。「次元とはなんだろう?時空間とはいったいなんだろうか?」長尾ミグは熱にうなされるように真っ赤な顔で神谷リサに問いた。いつものように自説を力説する長尾ミグは魅力的で自信にあふれていた。でも、しばらく彼の語ることをきいてみると、どうも長尾ミグはこの世界に熱く苦しんでいるようなのだった。それは世界そのもの、存在そのもの、意識そのものにたいする苦しみであって、彼自身どうやったらそれをなくすことができるのか、よくわからないようだった。熱病にうなされ、うわ言のように、せわしげに言葉をつないだ。「いいかい 神谷―つまり…」―と、そのとき、長尾ミグはそう結論づけた。「世界に深みなんてない!そんなものはありゃしないんだ!世界は本質的にぺらぺらでうすっぺらく、ばらばらで、からっぽの表面にすぎないものなんだよ。それをこの社会は深みをむりやりつくりだし、遠近法をむりやりつくりだして、自分たちのほんとうのよろこびを遠ざけて、にやついているばかりなんだ。本来、あるまじき「法律」や「常識」という自然のおきてに逆らう深みをつくりだし、それで自分で自分をしばりつけて、くたびれはてているのさ。現代人って奴らは、けして端へゆくことのないモノゴトとモノゴトの間で、じぶんたちを生ぬるく保存することばかりに気をくばり、自分たちをなぐさめているだけなんだよ。おかしいだろ。こんなの。病人どもだろ、こんなのは病んだ世界の弱者どもだろ。みな殺しにしたいだろ―え?、それじゃあ いつ 世界は喜びに満ちていたのか―だって?それは古代世界だよ。その世界のなかでだけ、人間はじぶんたちの世界を《それそのもの》として受け止める感性にみちていた。哲学と芸術をみればわかるだろ?それがどうだろう?いまの日本じゃあ人々はますます幼稚になるばかりの遠近法になやまされて、影のないところに影をさがしてばかりいるじゃないか!感情のないところに社会がつくりだした感情ばかりをみているじゃないか!よくいわれるように、人はもたれあって生きているものだよね。それで、もたれあうことによって、みんなでよってたかって、みんなを幼稚にしあってよろこんでいるんだ。ぼくはこの世界は次元数に狂っていると思っているんだよ、でも世界はぼくが狂っていると思っているらしいんだ。おかしいだろ?しょせん―この人間の世界は言葉のみせる嘘っぱちの世界さ。大人はみんな嘘つきだろ―だって、しだいにそのうち、言葉をからだであらわすものになるんだもの。みんな、嘘を嘘のうわぬりでなぐさめて、世界を世界のうわぬりでなぐさめて、言葉を言葉のうわぬりでなぐさめて、流し去っているっていうそれだけなんだ!なんて世の中だろう?なんて、世の中なんだい!ねぇ 神谷―教えてほしい。どうして、みんな何事もなかったようにふるまっていられるんだい?どうして、この堕落に気がつかないんだい?どうして、みんなは欺瞞を欺瞞と感じることなく、もっともらしい顔がしていられるんだろう?」ぴかりひらめく孤独の魂が精彩を放ち、数学の都市に病む長尾ミグの心がきらり輝くのを神谷リサは言葉のなかに見た。いちどとして、そんなことを考えたことは神谷リサにはなかった。「やっぱりぼくって女なのよね―しょうがないのよ、それはなんていうか、属性なのよ」その事を夕食のとき、両親に報告しながら、空中につぶやいた。言葉はLEDライトに電光表示される文字列となって、空中にちらつきまわっていた。《あのいっけん気まぐれで点滅していて甘えん坊にみえる長尾ミグがあんなことをあんな風に考えているなんて―ぼく、あいつをみくびっていたのね…恋はもっと簡単でからだでするものだと思っていたわ…》神谷リサは心のおく底でほろ苦く思った。たしかに、長尾ミグは簡単で単純な男ではなかった。神谷リサが手を焼いて、手をこまねき、おもわず両手をあげて、ばんざいしてしまうほどに複雑でむつかしいのだった。長尾ミグは「難解で複雑な高等数学の数式」のような男だ―と彼を称したが、そんなことは周辺のたわむれでしかないことはよくよく自覚していた。それで、家族が寝静まり、虫のやさしい囁きだけが響きわたる、ある初夏の夜、午前1時32分―いつもしずかで、おだやかで、人の話しが聴けて、ものごとを客観視する能力があり、困ったときに相談にのってくれる男友達に電話で問題をぶつけてみた。「でも―さ、ねぇ、男って欲望をもたないもんなの?それともアイツ、長尾ミグが特別ってこと?女が欲望をあらわにするっておかしいのかしら?それとも―女は男の欲望におとなしくしたがってみせるべき?男性ロックグループが歌ってみせてるような男の叫びをきいたほうがいいの?―ふだん男の言葉にできないウダウダってやつを?それで社会全体の女の良心であることを演じたほうがいいの?女の欲望ってさもしくあさはかなものなのかしら?それより―なにより、ねぇ―こんな宙ぶらりんにされて、期待ばかりさせられてる状態ってどうなのよ?とても健全とは思えないわ!」―と鋭い調子で、真剣に神谷リサは聴いた。男ともだちはその真剣をうけて、やんわりと立ちまわった。「う~ん―俺は男だからなぁ、質問全部には答えられないけれども…そりゃあ、シチュエーションにもよるけど、さ。ただ、ほら、昔からいうだろ。追えば逃げて、逃げれば追う―って。恋愛っていうのは、本来、欲望のゲームなんだよ」「いくつになっても?それは成熟した大人であっても?」「そう…だと思うよ。だから、この場合、神谷の意識や関心っていうのが賭け金なんだ。神谷はこの賭け金をもとに愛の値段をせりあげなきゃいけないな」そういわれて、神谷リサはびっくりして、おもわず声を張りあげた。「そ・そんなことぼくにできるわけがないじゃない!ぼくギャンブラーじゃぜんぜんないわ。パチンコだってやったことないし、花札だって、トランプのポーカーだってしないのに…」「それじゃあ あせらないことだね。話をきくと二人の関係は今のところイーブンといったところだろうから―落ち着いて、心をすこしづつ寄りそわせてみるんだね…」、うん わかったわ、キミがそういうなら信頼する、そうする、そうするわ!―と、そう答えて電話を切り、その言葉どおり、神谷リサはしばらく関係をほっておくことにした。しばらく、ふたり無口になった。やがて、神谷リサの事あるたびごとになにか言い出してしまおうとする自分を押さえるポーズ―両手で口を隠して、言葉を封じこめるポーズ―はすっかり板についた。沈黙をおたがいでわけあって、ゆきかう光と影をただただぼんやりと見つめ、耳をすませて、その隠された旋律を味わいぶかげにきいた。すっかり、すっぽり、すっきりだった。学校からのかえりみち、ふたり並んで、おびただしく砕けた太陽を吸った小川のせせらぎをみつめ、にゅうどう雲のたもとを声もださずにてくてくあるいた。世界は沈黙にくれ、ただその予感だけが騒がしげにざわめいていた。蝉しぐれの樹陰の木洩れ日の斑点を縫うように歩き、光にきらめく何万もの羽虫のつどう蟲ばしらを通りぬけ、鮮やかな田が蛍光グリーンに萌えさからんばかりの遠景とニッコウキスゲ咲き乱れる花畑の近景を、白いガードレールに寄りそってすわってみつめ、雲から雲をわたりさすらう風をうけ、期せずしておとずれた清涼に身をさらした。しばらくして、太陽がじ―と照りつけ、光の矢に刺されて、神谷リサはおもわぬ目眩に襲われ、ホワイトフラッシュに目眩んだ。陽光の企み、太陽の目眩い。頭がこてん―と長尾 ミグの肩へとたおれた。制服の白いワイシャツから石鹸のにおいがして、それが長尾 ミグのほのかにたちのぼる体臭とまじりあっているのを神谷リサは嗅ぎ、あわただしい胸さわぎがしたが、瞬間―吹く風にさらわれて、もとの清涼へともどってゆくのだった。「いい気持ち―」神谷リサはいった。「うん」長尾 ミグははにかみながら、うなずいた。胸がまたどきどきした。今度はもう風は吹かなかった。熱がこみ上げた。時間がこの「まんま」、止まってくれればいいのに…

其の四へつづく―
其の一へもどる―


 家からしばらく畦道を歩いていった、荒れはてたタンボとすっかり色あせた微妙なお洒落を楽しむカカシと雑木林の木立ちのむこう、鬱蒼とした茂みのなかに、ふだん打ちすてられたような神社がひそやかに息づいていた。そこに「ご神木」といわれ、白いしめ縄を巻かれたおおきな楠の木があった。昭和初期の落雷で裂け、高さはそれほどなかったものの、偉容をほこったかつての名残りとその災害をつつみこんで生を継ぐ生命のつよさがあった。幹のところは荒蕪に皺くれ、鋭く枯れはてていたが、そのまわりからすこやかな枝が伸び、萌える粘っこい若葉たちを噴き、新しい生命の流れをかたちづくった。神谷リサがはじめてその楠をながめた時、その幹にそれまで見たこともないくらいに白くて、おおきな蛾がとまっていた。その蛾は神谷リサに奇妙な感じをあたえた。はじめそれは蛾には見えなかった。純粋なかたちそのもの、フォルムそのものが冷ややかに幹にはりついているようだった。神谷リサはそれを、じっと凝視して、それが蛾であるということを知り、世界の音や彩のむれがそこに吸いこまれてゆくような不思議さにとらわれた。この現実に生きる生物はいつもどこか不思議でコズミックな時間をたたえている。彼らは人間とはまったくちがった時間をもっていて、まったくちがった目的意識をもって、生を営んでいるからだ。そしてその蛾はふだん目にする虫や生き物、人間たちとはちがって、どこからあらわれたのかわからないような神々しさをたたえており、時を超越した神のつかいのように思われるのだった。まばゆい太陽の燦然とした盛夏の午後だった。鮮明な影が揺れ、こもれ日がさわぎ、せみ時雨が降っていたが、いまや、神谷リサにはなんにもきこえなくなっているのだった。それは鮮烈な印象として、脳裏に焼きついいて、ぬぐっても消えない心の沁みとなった。そこにあったのはただただ流れゆく「時の歩みそのもの」だった。そこでは日常生活のなかではあまり味わうことのできない別の時の懐につつまれることができた。ブロックみたいな数字や言葉の意味ではあらわされない時の懐。そしてその懐はからっぽだった。無色で、なんにもない、からっぽな、だが吹きあがり、萌えあがる生命の時―神谷リサはなにかあるたびごとに、そこへとむかい、いごこちのよいからっぽさに影をおどらせ、手を合わせて、あるやなしやの守護を祈った。べつだんそれを信じて―というわけではなくって―ただ祈りだけがより自分を透明にしてくれる大切なことのように思われて―
   ☆
父ゴンゾウ、母牛子、ともにTVが嫌いだった。お茶の間でTVを見て、くつろぐという習慣はとうとう神谷家には根付かなかった。
TVは会話をうばうと二人は主張した。あんなものは受動的なバカを育むだけなんだ―と。
でも、母牛子は映画好きで、よく神谷リサと一緒にヴィデオで映画を見た。アメリカ、ヨーロッパ、中国、アジア、日本。恋愛モノからはじまって、古いやつ、ホラー、コメディ、サスペンス、歴史的大作、SF、文芸もの、アニメ―とどんなものでも見た。母牛子との間に女の会話が生まれた。母牛子は神谷リサに好きになったアメリカの俳優の作品をコレクションし、その作ごとにちがった魅力を放つ俳優の官能の美を言葉巧みに説いた。そんな時、母牛子の瞳はきらりと輝き、言葉は軽やかで愉快だった。神谷リサはいくつになっても心にリボンをむすんだ母牛子に女であることのチャームを感じとって、それに同調するのだったけれども、やがておとずれる思春期になると、その甘すぎるロマンティシズムにあらがった。そのころ、神谷リサは数少ない胸襟をひらいて胸のうちを心おきなく話せる、土着で豪快でなんでも笑う太っちょな友人太山デブ子に母牛子のロマンティックな傾向を揶揄して、笑い飛ばした。そうすることによって、すこしだけ大人になれた気がした。―が、もう少し時間がたち、自分自身を客観的にながめる目がやしなわれると、おなじように自分の中でリボンをむすぶということ、つまり母と同じような女であることのチャームが心の中でひとつの場所をかたちづくっていることをじぶんでみとめざるをえなかった。《人は知らずのうちに体験から居心地のよい場所をみちびきだし、結局そこへかえってゆくことによって、じぶん自身の存在をたしかめるものなのだろうなぁ…》―と、神谷リサはいつしか考えるようになった。人はそうやって―いくつになっても、むしろ歳をとればとるほどに親に似てゆくことによってじぶんを確認するものなのだろう―と神谷リサは思う。

もしかすると、時をかさねて、年をとることは先へすすむことではなくて、後ろへもどること―なのかもしれない。

ある日―神谷リサが、「友達との会話につけないからTVが欲しいんだけど」―というと、「リサちゃん、フランス人はTVを一番見ない民族なんだぞ」―と、父ゴンゾウはすこし誇らしげにアゴをつきだして答えた。「どうして?」と神谷リサは反論した。「だって―ぼく、フランス人じゃないわ。見てのとおり日本人よ。フランス人のマネをするなんて、そんなの、おかしいわ―」すると父は人を諭すことにたけた教師の口調で静かにいった。「TVはね、イマジネーションを限定してみせて表現しすぎてしまうんだよ。イマジネーションは自分のうちで育てるもの。そうすれば無限にひろがるものなんだ。よく胸に手をあてて考えてごらん。時をこえられるものはなんだい?地球をこえられるものはなんだい?かぎりある生命のプログラムをこえられるものはなんだい?リサちゃん、わかるだろ、奇跡や魔法はイマジネーションの中にあるんだよ」神谷リサはその答えの意味が頭ではよくわからなかった。それでも、そのとき世界の価値が多様に織りなされていることをぼんやりと体で感じるのだった。生きる価値はひとつじゃないということは父が教えてくれたことだった。父ゴンゾウには東京の大学でフランス文学を学んでいたときに知り合った「ピエール夫妻」というフランス人の風変わりな夫妻がおり、山村の風景を見せたいのか、折りにふれて、家へとよんだ。フランス語を話す父ゴンゾウは地酒の日本酒や芋焼酎をふるまい、自分もしたたかに酔い、へべれけ、まわらないロレツで夜おそくまでピエールとの会話にふけった。フランス語はおかしな発音で、東北弁のように神谷リサには聞こえるのだった。ピエールは金髪で背が高く、髪がくるりとカールし、けむくじゃらで、いつもどこかへんてこりん、でも不思議にどこかで見たことのある恰好をしていた。それもそのはずで、彼らは母牛子のつくった洋服を買い取って着ていたのだった。ユーモアを愛し、笑うのがとても好きなピエール夫婦だった。とくに妻レイラは高周波の超音波を鋭くあげるコウモリのように、むきゃっむきゃっと手を叩いて笑い転げた。神谷リサはピエールのけむくじゃらの体や高くてごつごつした顔だちを見て、毛深さつながりの親近感を覚えた。そして、なんだか自然の活動が盛んな場所の地形を見るような気になった。《日本人の顔って日本の地形みたいで、フランス人の顔ってフランスの地形のようなのね、顔とその国の風土が育む地形との因果関係ってあるのかしら?いったいぜんたい!》―と、そのときよく思ったものだった。
   ☆
ピエールが3度目に家へと訪れてきた寒い冬のある日、神谷リサは14歳だった。ピエールは娘を連れてきた。名前はマルタというらしい。マルタは黒ずくめの恰好をしていて、おおきなフードのついた丈の長いパーカーを肩にはおるように着ていて、前の銀色のZIPを開き、フードを目深にかぶって、しじゅうこまやかに頭を左右に振っていた。その影からちらちらとちらめく灰色の瞳は吸い込まれそうなほどに澄んでいて、乾いた空気に濡れて鋭い光をはなっていた。華麗に舞い踊るような子音をつかって、たどたどしい日本語を話した。会話のあいまあいまに唾を吐くように唇を鳴らし「ザケンジャネェ~」「ヤッテランネェ~」とほとんどアクセントとして分節されておらず、何を言っているのかわからない超音速の日本語を呟くくせがあり、人目を忍んで鼻くそをほじっているようだった。神谷リサは紹介された夜はぼんやりとしていて、あまりたいした印象はもたなかったのだけれども、あくる日、朝食を食べ終えたあとで、父にうながされて、近くの小さな森を案内して、家庭菜園で青虫を食べてみせ、「どう 食べてみる?」と誘い、彼女がコックリとうなずいてみせたその時、すこしだけ心と心が近づいたように思われてうれしくなった。果敢に、マルタは青虫を呑み、「うん 悪くない」といって、けろりとした表情をしてみせた。さらに神谷リサはそれ以来ずっとつづく呼び名で「マルタさん」と彼女をよび、マルタは「リサちゃん」と彼女をよんだ。なんだか外国語にないもったいぶった響きがそう呼び合うふたりをおかしな気分にさせるので、そのうち、すっかり気に入った。クラスメートとは共有できない秘密を彼女とだけ共有できたような気がした。
    ☆
 家から車で15分ほど山間を走ったところに代々つづく神谷家はあった。祖父も祖母も長寿で、神谷家は死なない一族だった。親戚は誰ひとりとして死ななかった。ただただ生きて、のっぺりとした生の軌跡を、日常のなかで伝えていた。けれども、100歳を越えたころから、じょじょに祖父と祖母は現実を生きなくなっていた。夢うつつの中をただよい、幽霊とたわむれ、観音たちと会話をかわし、あの世のお釈迦さまと問答し、時折泣き声をあげた。重力が狂ったようなヘアスタイルをし、ほとんど動かずに、だれがなにを話しかけても反応を返さず、ふだんたいていは光りをうしなった鈍色の瞳を、ただただ虚空へ投げやるばかりだったので、生きていることが死んでいることのようなものだった。身体の代謝、それだけが2人が未だにこの世界の生の循環のサイクルの中にいることを教えていた。ときおり―そんな2人を見て、神谷リサは植物から人間にいたる生命進化の過程を考えた。2人は地球上の生物だったが、人間とは別の次元にいて、別の世界をながめやり、別の言葉を話し、別のコミュニケーション能力をもっているように見えた。それはあんまりにも現世の人間や彼らがつくりあげた世界観からかけ離れていたから―それで神谷リサは宇宙人を見ているような気持ちになるのだった。

ちいさな時から、神谷リサは文字や言葉がとても好きな少女だった。文字や言葉はちょっとした甘くて強い酒のような効果を神谷リサにあたえるのだった。文字や言葉は甘く神谷リサを酔わせた。知ることにまつわる甘い酔いはまことしやかで、魅惑的だった。両親のもっていた百科事典や辞書、昔の小説、数学の秘術の本、アンティークの本と古い字組みの活字、古い雑誌、母が定期購読する海外のファッション雑誌、ふるいイタリアンヴォーグやハーパスバザール―などをある時は「ぱぁっ~」―と、ある時は「じぃっ~」―と読んだ。でも、神谷リサが本当に好きな本とのつき合い方は、とくにこれといった目的ももたずに、ゆらゆら、ゆらめいているというものだった。読書の量が増えるにつれ、しだいにわかってきた事のひとつは、言葉を読むことの中には言葉だけではけして読むことのできない部分があるということだった。小説はとくにそうだった。「言葉」を読むことによって、「言葉ではない」ものを読むこと―それが本を読むということなのだと神谷リサはいつしか考えるようになった。言葉という目に見えるものはあいだをつなぐ中継点であって、言葉ではない場所にこそ言葉の役割はあるじゃないかしらん―と、神谷リサはひそやかな確信をもって考えるようになった。そしてなにより、神谷リサにとって、いつも、本と活字は生あたたかくてやわらかかった。それは神谷リサを夢見心地にさせた。言葉に酔って、ふわふわとした感じになり、その言葉をどうしても使いたくて、皆が寝静まった真夜中、ひとり、深い闇夜を飾る星々にむかって、風にむかって、草にむかって、大地にむかって、言葉を紡いだ。言葉は口から紡ぎだされると七色の糸となり、世界を目に見えない次元でつらぬき、とりとめなく拡がってしまった世界を縫い合わせて、一枚のタペストリーを織り上げてゆくように神谷リサには思われてーそれでなんどもなんども言葉はくりかえされ、夜はふけてゆくのだった。唇からこぼれおちてゆく言葉は自分から発されているにもかかわらず、自分のものではなかった。それは―なにか意思をもった独自のファンタジックな生き物のようだった。それは―ときどきうまくコントロールできずにどこかへと飛んでいってしまい、ときどきバッチリと意のままにおさまった、ときどき神谷リサを責めさいなみ、ときどきあたたかくぬめらかなぬくもりで心くるんで、元気づけた。やがてそうした時間は知のうるおいとなり、神谷リサをつつむもう一つの痒水となって、彼女をはぐくむのだった。海のそばで小さな時から育った人間が海の中で泳ぐことをおぼえるように、神谷リサはたどたどしくも、すこしづつ言葉の世界で泳ぐことをおぼえてゆくのだった。
   ☆ 
 そして―
その頃、神谷リサは髪をおさげの三つ編みにして、詩を書き、7色の絵を描いた。
☆        
 高校にはいるころになるとすっかり大人びた。もうずいぶん前に赤い血潮の月が降り、胸とお尻がおおきくふくらみはじめ、女としての機能をからだが示すようになり、そのからだとのつき合い方も、だんだんにだが、覚えた。そして、まわりにいる、たいがいの人々が幼稚で頭の遅れた、古くさい、鈍感な子供たちに見えるようになった。まわりの誰もきかないハードロックやパンクをきき、ジャンキー作家ウィリアムバロウズの「昆虫人間」のヴィジョンにふるえ、髪を振りみだしながら、腰をふって踊る快楽をおぼえて、セックスを夢想した。映画をみなくなり、それよりも西海岸の奔放なヘビメタ、ハードロックやサイケデリックロック、アシッドロック、NYパンクのバンドのヴィデオを見ることを好むようになった。セクシーな歌詞をなまめかしくも中性的なルックスで「プッシー」や「キティ」や「ファック」を野獣や蟲のように歌う彼らを眺めるのが、神谷リサはひどく気に入った。若いエネルギーから、こんな男にもてあそばれて、オモチャにされ、めちゃくちゃにされて、傷つけられて、ポイ捨てされたら、どんなに素敵かしら―とそう神谷リサは心の底でひらめくように思ったりした。それから女詩人―シンガーソングライターや女ロックスター、ポップスターも好きだった。彼女たちはもうすこし、女の自立や女の感受性を時に丁寧に囁き、時にエロティックに煽情し、男のオートマティックな欲望に燃え立つ視線をかわしながらも、女の武器をフルに活用し、人口に膾炙し、時にヒステリックにがなりたて、時に変わらない男社会にイラだって破壊衝動を満たすように歌っていた。なにより、彼女たちは、「うじうじ」していなかった。それを、パッとつかんでは投げ捨て、またピッとつかんでは投げ返している液晶映像は「粋」で「クール」だと思った。回転がはやく、めまぐるしく変わるのも気に入った。なにひとつとして、この世の中に確かなものはなく、ただ光速のレーザービームのように瞬間的に生が放射され、ぼんやりとした記号のモザイクの光がよりあつまり、瞬間的に死のクラスター爆弾が暴発する―そんな放射と暴発の閃光のまたたきが美しいとおもって、うっとりとした。

其の三へつづく―
…見出された時間たちに―
            
「「時」がすぎて、今、「心」から言える、あなたに会えてよかったね、きっと、わたし…」
「あなたに会えてよかった」
小泉 今日子

「なぜなら「時間」とは生きるということ、そのものだからです。そして人のいのちは「心」をすみかとしているからです」
      「モモ」
ミヒャエル エンデ     

「この地球という惑星のうえには、求心力はまだまだたくさんあるんだもんな…生きてたいよ…ボクにとっちゃ、「春先に萌え出る粘っこい若葉」が貴重なんだ!…さぁ、魚スープがきた。よろしくやってくれよ!うまいスープだ、けっこうイケるよ!」
      「カラマーゾフの兄弟」
ドストエフスキー   
    ☆
…「神谷リサ」のくらす東京のマンションはいかにも古ぼけていた。

1969年にたてられたなが細いかたちの鉄筋マンション。時はそれにあらがおうという人のいとなみをゆるやかに拒みながら、だれも気がつかないうちに手垢でよごし、おだやかな疲労をマンションにあたえていた。風はホコリをなすりつけ、はじめのうち、はりつめて、無垢だったマンションをヨゴレとともにやわらげ、そのころにあった風景とのどことない不調和を眼にはみえないようにした。ピカピカしていたマンションはすこしづつツヤを消して、のっぺりとしはじめると、いかにもいごこちのよいものになりはじめた。いくつもの春がすぎ、夏がすぎ、秋がすぎ、冬がすぎた。春の湿潤な雨の夜がすぎた。夏のてりつける太陽とにゅうどう雲がすぎた。秋の月の潮がすぎ、冬の白くけぶる粉雪の嵐がすぎて、また春がやってきた。神谷リサの部屋はその最上階だった。最上階はみはらしがよかった。いつも空模様がながめられ、ヘリコプターや飛行船、気球やジャンボジェットが季節ごとに表情を変える雲を背に行き交った。その下にはポスターのような風景がひろがり、ビルの間に間に公園があって、ゆきすぎる時の歩みにつれて、彩りをかえた。四季の風光麗しき公園へ集う鳥たちは咽喉をならして、高らかに愛を歌い、その嘴をふるわせて、訪れた人々の目を楽しませていた。―が、その下からでてきたモグラが赤い舌をだして、アカンベ~をしていることには誰一人として気づかなかった。
   ☆
そこに住みはじめて、しばらくすると、雨もりがしはじめた。ある大雨の夜のつぎの朝、めざめてみると、床がぬれて水たまりができていることに神谷リサは気がついた。それからというもの、雨が降るたびにブリキの洗い桶をあてがって、天井からしたたりおちる雨の雫をまつようになった。雨の雫が滴りおちる夜には、その光景を体育ずわりに両手で頬杖をついたポーズで見まもった。時間そのものにい抱かれる思いだった。ふいに、古い映画のワンシーンで見たようなスクリーンの中の時間のなかに迷い込んでしまったような気がした。実際、滴りおちる雨の雫は風情があった。ブリキの金属を規則的に叩く高い音が部屋に沁み、都市の乾いた夜に、東京では珍しいようなうらぶれた郷愁の詩情をたたえた。神谷リサはそんな時間のなかにいる自分、それ自身にすっかりふけってしまって、雨の日が好きになっていった。雨の日が描く世界につつみこまれている感じ、ぴちぴちとした水のしたたりがつくりだす王冠の栄光、わけもないようなぼんやりとした喜び、あのしとやかに濃縮された多幸感はわすれがたく神谷リサの心を支配するのだった。そうして、いつしか、なんとなく雨の日を心待ちにするようになった。部屋は古ぼけ、ちいさかった。それでも、部屋を飾ろうと工夫をして、精巧な織り目のととのったペルシャ絨毯を買った。はじめのうち遊牧民のようにその上をころがり回り、うんうんへぇへぇ―うなったり、時におおきな声をあげて朗読したり、時にきゃっきゃっ―と笑い転げながら、本を読んだ。以前住んでいた部屋で小さな山だった本はやがて訪れたいつしか、天井にとどくぐらいのおおきな山にまでなった。《あ~あ~、これじゃ、地震があったら本の角にあたまをぶつけて死んじゃうかもなぁ~、それってヤバァイ…かも…》―と、おおきな山を見ながら、ある休日のうすい影があふれた陽だまりの午前、この世の果てまでつづいてゆくようなゆるやかな溜息をついた神谷リサは、その日の午後、ソフィスティケートされたボサノヴァサウンドの流れるインテリアショップへと駆けこんで、メタリックな銀色の本棚を買い、夜までかけて本をならべてみたが、それでも棚の下にねむることしかできないので、地震がきたら下敷きになることは目に見えており、場合によっては倒れてきた棚の鋭く尖った角に頭をぶつけて、それが額に突き刺さったりなどして、そのまま、ホラー映画さながら、額から滝のような血を噴きださせて―「この世にアデュ~」―と、いう可能性は消えたわけではなかった。もっともそんな杞憂はひきつづいたものの、棚を買ってみたことが発奮剤となって、家具にこるようになった。部屋の調度をととのえたいというそれまでさほど意識していなかったが、街の風景をながめ、友人と興じ、街を歩いているうちに、いつの間にやらひらめいた夢想の熾き火に火がついた。コンビニでインテリア雑誌を買っては読みあさり、結局、ちょっと「だる」な感じのモダンボヘミアン風にしてみた。おなじような趣味で古着屋や代官山や青山のブティックやインターネットのオークションでモダンボヘミアンな服を買い、ベットは古ぼけて、すこしおバカで心地よい感じのするロココ調のアンティークのものにした。6つのビーム光線を放つツヤけしステンレスのスタンドを買って、ショーアップされた空間をその光のなかにコラージュさせ、ちょっとした装飾をあしらった。そうやって自らつくりあげた風景のなかにたたずむと、地震の前の時空間の歪みめいた「重力のズレ」が感じられた。夢想は現実の風景になった。だが神谷リサは複雑な感じがした。自分が夢の中におり、その夢の中からガラス窓のむこうをのぞきこむようにしてしか現実を認識できなくなってしまったように思われて、一抹の淡い喪失感をおぼえたからだ。神谷リサは現実がすこしづつだが、抽象的になって、印象画の画家が描く曖昧もことした色彩のように、後景へとしりぞいていっているような不安定な戸惑いを感じるのだった。

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  ☆
…3月23日の夕暮れ―

黄昏のレインボーな色彩が、その最後の明るさをかがやかせ、影の濃度をかえてゆく。風景は色彩にひたされて、刻々とその表情をかえていった。ステレオの液晶があえかな銀色の微光をもらし、アンビエントな金属音で溢れかえる神谷リサの部屋。窓から射す光の移ろいをぼんやり眺める。―ふいに、今日、ほのかな赤らみに染まったピンクのさくらがしずしずとけぶっているのを見たことをソファの上で神谷リサは思い返していた。神谷リサは追憶という目くらましいばかりの「影の時間」が好きだ。交錯する影がよびさます時間は、現実という「光の時間」よりもその時間の本質を明らかにしているように思われた。「時間」は追憶の中にあるのか、それとも現実それ自体にあるのだろうか?―と自問自答したが、よくわからなかった。ただ、今日一日、風のない時間がすぎたのだった―神谷リサは蒼葉がまばゆく光かがやくのを見た。パステル色の空やメタリックブルーの薄暮を見た。風のないおだやかな午後の静けさを見た。コンクリートのビルディングの中で、液晶画面を見つめるひとびとがしずやかな生の営みを、まるで淡い影それ自体がくりひろげる無意味な戯れのように、淡々とくりひろげてゆくのを見た。そして今、あけはなたれた窓から若葉の匂いを孕んだ「つむじ風」が迷い込み、机の上の本の頁をいたずらにまくりあげてゆくのを見る。風は光ファイバーネットワークの網羅された金属とガラスとネオンのメタル都市を駆け、ひう―という高い声で叫んだ。それから神谷リサの髪をさらい、ソファの上に来ると神谷リサにいたずらに絡みついた。風とともに植物のように追憶が芽吹いた。そうして、それはおおきな樹の、あまたの芽吹きさながら、とめどなくなった。じきに睡魔に襲われた神谷リサはうとうとまどろみ始める…。

時が圧縮され、夢はゆらめき、追憶がストロボのように七色の光芒を刹那刹那のうちに焚いてゆくのが、鋭いイメージの矢となって、つぎつぎと瞳を突き刺していった。

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   ☆
…そうだった…

ちいさな頃から、神谷リサはユニークな顔だちをしていた。口がおおきくて、目鼻だちははっきりしていたが、毛深くて、左右のまゆげがつながっていた。それでも、ながいまつ毛にかざられた瞳は深く澄んで、いつも好奇心に輝いており美しかった。肌は透けるようで、身は引き締まっていた。人はせまいところでごちゃまぜにならなければ、その人をつつむ時の集積―存在のオーラを立ちのぼらせるもので、そのオーラにはいろいろある。たいがいのオーラはうまく言葉でいいあらわすことができないものだったりするのだけれども、神谷リサは成長するにしたがって、そんなオーラにけぶり、存在をけむりめかせた。頭の回転がはやく、きびきびとして、感じがよく、話し上手というよりは聞き上手で、態度に垢ぬけたところがあった。自分の顔はいやではなかったから、眉毛をそろうとも、整形しようとも思わなかった。ちいさい頃、どんなに男子に「サル」だとか「オランウータン」だとか、「ゴリラ」だとか揶揄されて、「おい てめ~むきゃむきゃっていえよ このサルがぁ!」―とからかわれて、木の棒でつつかれても、タンボにつきおとされても、小石を投げつけられても、眉毛を剃ろうなんて考えたことは一度もなかった。そればかりか《どうして―?》―と、疑問符つきでよく思うのだった。

《どうして―みんな美しさの基準をテレビや雑誌のモデルにもとめたりするのだろう?美はそれぞれがそれぞれのうちがわにもっていて、それが表現されれば、たとえまゆげがつながっていようとも、それはそれでなににも変えがたい美しさなんじゃないかしらん…》
   ☆
神谷リサは栃木県南部のふかい森にいだかれた山村で生まれ育った。そこには宇宙を受信しているような銀色の屋根をした古い建物と季節をたくみに刺繍する山々とタンボ、鉄分のつよいアスファルトが太陽に反射し、きらりきらり照り輝くところだった。美しい空のスクリーンが「天椀」という古い表現そのままに広がり、太陽の抛物線の軌跡をあからさまにし、うつろう星座群の推移をかがやかせ、刻のうつりかわりをむきだしにしてみせた。すでに長いあいだ、つかわれることのなくなった廃工場や文明開化時の古びた鉄鋼の建造物のその跡地が点在していたが、今は静けさのなかでぴくりともせず、産業の営みから見捨てられ、ただただ時の移ろいを吸い込んでは、錆びにかえるばかりなのだった。時のうつろいは錆びた腐敗の華をひとつ今日もまたほころばせるのだ。

ときどき熊があらわれて、するどい爪で人を襲った。よく岩がおちて、人の頭がつぶされた。ごくまれに、強姦魔があらわれて、色づいたメスの匂いに狂わされるように、レイプし、タンボに投げ捨てた。一度だけ夜の闇にまぎれるように殺人鬼があらわれて、一家が惨殺された。新聞は大見出しで事件をあれこれ書き立て、清潔で都市的な教育をうけた評論家や教授や大衆意識を代弁するというコメンテーターが、冷静で理性的、人間的で、信頼のおける、リスクのない、それゆえにいい加減で適当なことを言い放って、皆を安心させていたが、実際はすべて宇宙が及ぼす生命連鎖の法則にちがいなかった。
   ☆
父、神谷ゴンゾウは天真爛漫さと頑固なところが混ざり合っていて、黒曜石のような瞳がいつも光をたたえ、動物としてのおかしみがある男だった。そのおかしみは上のほうから降りて来るものではなくて、下のほうから沸きあがって来るものだった。たとえば、彼は毎朝の日課として日々欠かさず寒風摩擦をした。どんなに寒い日でも、赤ふんどし一丁で、庭先にたち、つらなる山々に向かって仁王立ちになると、体にタオルをゴシゴシこすりつけたのだが、そのとき、たいがい気合を入れる声を洩らした。「ちょいそぉ はっ まだまだ こりゃこりゃぁ!!」―と、まわりに民家がまばらだから出せるような大きな声をあげるのだった。それほど声質が高いというわけではなかったが、その声はよく周囲にひびいた。父ゴンゾウは近くの高校で国語の教師をしており、国語の教師だけあって、いろいろな文字をカラダのかたちでつくり、話しをすることができるのだった。神谷リサにだけ―「リサ、見てみろ、これはなんて字だ?じつはな、ゴンゾウ父ちゃんはな、宇宙から来た宇宙人なんだよ。こうやって宇宙の友人とも話をすることができるんだぞ。どうだ すごいだろ!政府が運営する「宇宙顧問審議会」から内密に打診されてるんだぞ!」―とうそぶいた。幼い神谷リサはすっかりそれを本気にして、「とぉちゃん すてき!」と父を尊敬して、首根に抱きついた。もし宇宙人がきて、地球人と会話をしたいというとき、他の人はあまり言葉が通じなかったとしても、父ゴンゾウだったら、きっと、ちゃんと意志の疎通をはかれるにちがいないと神谷リサはけらけら笑い転げながらも、父をうんとほこらしく思うのだった。父ゴンゾウは「ファーブル博士」を尊敬し、虫が好きで、標本をつくり、夏になるとランニングにすててこ、麦藁帽に虫あみをもって、野原を駆けずり回ったり、転げまわったり、猫ジャラシの雑草生い茂る叢の中からお尻だけを突き出したり、木を抱きしめて蝉のようによじ登ったりしたが、蝉のすばやさには到底かなわなかった。青虫を「栄養!栄養!こりゃ、からだにえ~よ~」といっては、ペロリと食べて、「おまえも食べなさい」とリサに食べさせたりもした。リサははじめ「まぢでこれまぢぃ~」と思ったが、そのうちだんだん食べるコツをおぼえて、上手に食べられるようになった。イメージを殺して、のどを通過させればいいのだ。正直、美味しくはなかった。でも、つるりとしたのどごしはわるくなかった。おかげで虫が友達となった。ゴキブリを、ぼうふらを、おたまじゃくしを、蚊を、蝿を、ウジ虫を、みみずを、ダニを、虱を、神谷リサは彼らの毒の害になやまされ、体を筋なすみみず腫れの痛痒に発熱させながらも、「じっ」と熱っぽく見つめた。虫をながめていると、自分はこの世界にひとりでいるわけではないということが、神谷リサにはよくわかった。そして―人間はみながいうほどには、たいしたものではなくって、しょせんは虫たちに栄養を提供する血の詰まった肉のふくろにすぎないのかもしれない―と嫌な事実を体で感じた。もうすこし大きくなったしばらくのち、彼女は虫とたわむれ、残虐に液を絞る遊びをおぼえた。黒いガラスの石をわしづかみにしてはムカデをすり潰し、紫の体液を照り光る石肌になすり、ばたつくおびただしい足々をその液でなぶった。蛇をつかまえ、ナタをふるって頭を落としたり、頭上で鞭のように振りまわしたりした。おおきな蜥蜴を捕まえて丁寧に殺し、太陽の光にさらしてミイラにし、首の付け根に穴をあけて、ペンダントにしてはいくつもぶら下げた。黄金虫や玉虫を石や靴の踵でつぶし、粉々にして、それを顔にまぶして、きらめく化粧にかえた。やがて、すこし年を経ると、そういった残虐な遊びはしなくなったが、残虐なものの鮮烈な美は目の裏に、強く鮮烈に焼きつき、ふと、やってきては、今と過去を、自然と自分を、世界と感覚とを巧みに結合させてみせるのだった。
    ☆
母、神谷牛子は無農薬の家庭菜園をいとなんでいるのだった。季節によって角度をかえる太陽とそのうつろいをはらんだ風と大地の栄養が手に手をとりあって結ばれあい、果実や野菜がはぐくまれ、じきに実をむすんだ。近くには清流がせせらぎ、野原がひろがり、おく深い秘密を孕んだ生命を連鎖させた森が息づき、さまざまな食べられる植物らが野性で生え、なまめかしくも魅惑の精彩をはなった。自然の有機反応がむすばれあう生産物は豊かだった。おりおり、その多様なフォルムと彩りは風景を鮮やかににぎわせ、ときおり、そのちいさなミニチュアが食卓へのぼるのだった。野菜をたべながら、《大地っていうのはおおきなプロダクト工場みたいなものなのね》―と、神谷リサは思った。春にはツクシや七草やタケノコや銀杏、夏にはトマトや南瓜やキュウリ、秋には茸やオクラや栗、冬には白菜やほうれん草などが登場した出刃包丁にぶつ切りにされたり、銀色の鉄釜で茹でられたり、艶っぽく黒びかりする鉄板で焼かれたり、木でできた樽に漬けられたりした。
母牛子―は、休日の昼下がりに古道具屋で買った、古い木製の足踏みオルガンにすわり、ベルベットのカクテルドレスやベアトップなどで洒落めかすと、ぴんと背筋をのばして、歌を唄った。オペラや洒落たボサノヴァ、昔のスタンダードのジャズソングが好きだった。もっとも、そればかりではなく、古い文部省唱歌やみんなの歌、歌謡曲など豊かなレパートリーを猫のささやき声のように頼りないオルガンの音にのせて唄ったが、お世辞にも上手いとはいえなかった。それは「音痴」の部類で、「下手の横好き」とはこのことだ―と神谷リサは胸のなかで思った。それでも母牛子はたのしげだったし、人に聞かせるものでなければいいんだろう―たとえそれがどんなに音痴で調子はずれなものだろうとも、音楽があることは心くつろぐことだ―とつづけてもやもやと思った。神谷リサは心くつろぎついでに、縁側で夢うつつ、服をきたまま、「ろ」の字に身をまるめ、うとうとまどろんだ。それは《時間がこのまま永遠にとまってしまえばいいのに…》―とおもわず心のおくで祈ってしまうほどの甘いまどろみの時間だった。のちのち、そんな母牛子の調子はずれの歌がひびく休日の昼下がりのぽっかりとした時はかけがえのない甘い夢だったと神谷リサは思いかえすのだった。母牛子にはモダンでハイカラなところがあった。同じ古道具屋で銅製の曲線装飾がこらされたアールヌーボ風の足踏みミシンも買って、服もこしらえた。ひどくのろいミシンで、「きぃこぉきぃこぉ」という音をたててきしみ、なんだかその音が服をつくりあげているようだった。街へでたときやお気に入りのショップで、感覚にぴんとくる古着を目ざとく見つけると、それをばらし、リメイクし、つくりなおした。糸がとび出て、左右不対象で、バランスはくずれ、おかしなところにおかしな布がコラージュされたへんてこな服だったが、生地の選択は洒落ていたし、そういうデザインのものも少数だが、出回っていた。神谷リサは母牛子の服を着て、学校へかよった。クラスメートははじめはおかしがったが、だんだん、そういう家庭があるということがわかると、そういう人なのだとみなすようになった。そればかりか、彼女はお洒落だという噂になって、母牛子から服を買いたいという友人まであらわれ、神谷家の心をうれしくはずませたりもした。 
   ☆
土曜日の黄昏が神谷リサは好きだった。黄昏はすべての色彩をすこしづつ含んで、移りかわる色彩のパーレードのように思われた。はやくに学校が終わって、赤いランドセルをほおりなげて、自分の部屋でぼんやりとした夢想に過ごす午後の時間―神谷リサにとって、その時間はもっともじぶんで自分自身を豊かで幸福な存在としてとらえられるベルベットな時間だった。神谷リサは、とくに春さきの端麗な静けさひろがるはな曇りの逢魔が刻の土曜日、鋭いいかずちが空を点滅させ、雷鳴が空を叩き、おもい雲立ちこめる夏の夕立ちのまえ触れの土曜日、にわかにおとずれた狐の嫁入りのあとの秋の桃色の薄暮の土曜日、冬ののっぺりと冷たい光が銀色の鱗粉のような光を降らせる金属の夕べの土曜日―などが好きだった。なぜって―だって、そこでは芸術的ないたずらをする天気と土曜日という休日前のおっとりとした時間に、いつもより夢見ることが現実として、ちょっぴりだけでも許されているように感じられたから―夢想は萌えあがる生命の予感をはらんでいながらも、しんとした表情をうかべる庭の芝や遠くにこんもりしげる森のふかい緑の木立ちをすさまじく駆け、飽くことを知らなかった。夢想のなかで、木立ちにひそむ虫の羽音やぺりぺりと剥ける梢の樹皮の乾いた音までもが聴こえた。午後のメタリックでアンニュイな日射しがきらめき、庭の雑草の色彩が現実から剥げてはこぼれ落ち、中空でひかりかがやくものとなり、それ自体が発光しているように見えた。魂がフロートして、世界との遠近法が狂った。この現実世界の時空間と自分自身が離れたもののように思われて、この時空間ではない場所をぎこちなくたゆたう意識を知るのだった。そして、たいがいそんなとき、この時空間、この世界、この生の舞台は不思議で神秘的な場所なのだという、やむにやまれぬ感慨がおしよせてきて、彩りのマーブリングされたサイケデリックな綾目で心が非人間的なものによって編みこまれてゆくのを、茫然としたおももちと無力な思いとで眺めるのだった。神谷リサはけして自分には及びつかない神秘と深遠なる大宇宙がこの生命にひそんでいることをこわいような思いで強く感じた。自分がどこか非人間的な宇宙を孕んでいることを思って、身震いした。それはコントロールすることができなくて、気がついたときにはすっかり身も心も支配されてしまっているものなのだ―と突き上げる実感とともに思うと、なんだかひどく心ぼそくなった。情動の放電がおこる。電気が体を駆けぬけ、一緒にいてもみずしらずの体の細胞群がにわかにざわめき、身体にめぐらされた神経網のネットワークが起動し、肌をざわめかせ、冷たい鳥肌をふるわせた。そんな時、きまって、神谷リサは、あまりに大きなものを見すぎたようで、とりとめなくボウ漠として、自分の輪郭がとけ、大宇宙に呑みこまれてしまうようで、こわくなってしまうのだった。

もしかすると―

わたしはわたしではないかもしれないー
   ☆
生きること―それは宇宙をはらんであることなのだろう―と、神谷リサはいつしかぼんやりとした確信をもつようになった。そして神谷リサはそこから現実的な態度として、世界に対して、爽やかなあきらめの態度をみちびきだした。《つまり、この漠として、あまりにおおきくて、まばゆく、うつくしく、そしてとりとめがなく、どこまでもはみだしていってしまう世界―それは自分がコントロールできる範囲をおおきくこえているもの、だから自分はけしてなにかをコントロールしたり、意のままに操ったりすることはできないのだろう―もしそうすればそれはひどく傲慢なエゴイズムなのではないのかしら…》―と神谷リサはぼんやりと考えるようになった。
これは都市で生まれそだった人間がかんがえられないだろうおおきな地球規模での視点だったから、もうすこし年をかさねて移り住むことになった東京という大都市のせちがらく、いじましい都市の価値とはそぐわないものだった。だが、それから知らず知らずのうちに、運命の綾糸の織りなす好きな綾のほうへと身を寄せていった結果、自分がひとに心地よさをあたえるひとつの存在として、都市のある役割をあたえられたとき、彼女をみまった微妙な座りのわるさは、このコントロールをめぐる人間のあり方と関わっているものだった。 

其の二へつづく―
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