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◆・・・・といっても先生はぼくではありません(笑)
スキゾキッズな浅田彰氏です。

◆フラクタルっていうのはなにですって?
それはこのヴィデオのなかで浅田氏がいってないかもしれませんけれども、「不規則な断片の意のラテン語 fractus に由来。部分が全体と相似(自己相似)となるような図形。リアス式の海岸線や雲の形など自然の中の複雑な図形に見出せるほか、コンピューター-グラフィックスを用いて表現される。1960 年代にフランスの数学者マンデルブロー(Benot B. Mandelbrot (1924- ))により新しい幾何学の概念として導入された」(大辞林)ものでどこまでいってもおんなじものがあるっていうヴィデオ内の繰り返しをすれば、金太郎飴的なものとしてかんがえてもいいかもしれません。

◆ちなみに哲学者ガタリ=ドゥルーズによれば、このマンデルブロートの「オブジェフラクタル」はそれまでのメジャー科学ではなくて、マイナー科学のものとされています。コンピューターのような情報機器が発達すると、これまででは捉え切れなかったような暗部の情報までとらえられるし、このオブジェフラクタルのような非常に細やかな分割が可能になるわけです。これはヴィデオ中の文学の領域においてプルーストについていわれていたように文学でも適応可能だと思っています。

◆文学はむしろテクノロジーの問題として、さまざまな心の暗部やアンダーグラウンドを閉塞的な内在空間として確立するその領域の規定ではないでしょうか?だから本質的に文学にはアングラなところ、マイナーコードなところがあるのだと思います。

◆そういった仰々しいごたくはさておき、ヴィデオ自体はちょっと、クローネンバーグとゴダールを足して、チープにしたようで、浅田氏の髪型はいただけないですし、お洒落しろよ~って気もしますし、もう少しなんとかせよ!と思うところもありますが、時代を鑑みるといたしかたないのかなぁ。

◆今世紀、世界は確かに旅人の時代になりそうです☆
それから逃げる人の時代―POPの時代に。

◆トータルでみると、けっこう長いんで、簡単な説明はここがいいんじゃないかな☆

プロローグです☆


◆本編
☆浅田彰 その1
☆浅田彰 その2
☆浅田彰 その3
☆浅田彰 その4
☆浅田彰 その5
☆浅田彰 その6
☆浅田彰 その7
☆浅田彰 その8
☆浅田彰 その9
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by tomozumi0032 | 2007-04-12 23:43 | その他
◆「むかしむかし」から「ずっとずっと」そうで―
最近特にそうなのだけれども―
「それはいったい本気なのだろうか?」
と、思ってしまうことがおおい。

◆そりゃあ、ね。
社会はいろいろな分野があるものだし、そのいろいろな世界の中でいろいろな才能がしのぎをけずっているのだろう。
皆「それなり」に自らの本気を社会にぶつけることによって自らの存在意義を社会の中で見出しているにちがいない。

◆「驚きの新製品!」「今欧米で大ヒット!」「これが~の現在形だ!」

こういった見出しは人間のこんな言葉にピッタリフィットするよう。

「力の限り努力します!」「万全の姿勢で取り組みます!」「ありがとうございます!」

たしかに―
とてもよくわかるんだけど―でも、ちょっと引いたところから眺めると、「それはいったい、本気なのだろうか?」と思ってしまう。

◆こういった感情というのはおかしなもので、当人が本気であると、むきになればなるほど募っていってしまう。
当人は「オレは本気だ!」という―
「わたしは本気なのよ!」という―
言えば言うほどどうにも本気とは思えなってしまうのである。

◆ぼくは「パラドックス(逆説)」をとても面白くて無視できないものだと考える人間なのだが、「パラドックス」の面白さというのは、こういった感情に支えられているのではないかしらん―
往々にして、学者や文学者のいうことも同様に、こんな感情で見てしまうことも多い。

高名な学説。
偉大な書物。
それはいったい本気なのだろうか?
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◆たとえば―ウィリアムジョイス。
 20世紀小説の達成だといわれている「ユリシーズ」。
 それはいったい本気なのだろうか?
 あるいは―三島 由紀夫。
 「仮面の告白」で自らがシュミラルクルのシュミラルクルで あることを暗示している。
 それはいったい本気なのだろうか?
 はたまた―国民的作家といわれている夏目漱石。
 デビュー作は「我輩は猫である」である。
 それはいったい本気なのだろうか?

◆言葉の価値をバカにしたり、その人の心意気を貶めたりするわけではないのだけれども、それでも、なんとなく人々の社会で営まれる生というものは、滑稽でおかしなものに思えてしまう。そして、生きていながら―日々徒然、どうにもこういったものを演じてしまっている自分というものが本気なんだか、どうなんだか、わからなくなってしまうことが多い。

◆すくなくとも、ぼくにとっては社会は「戯画」の映像ミニアチュールだ。
でも―
「むかしむかし」から「ずっとずっと」人の世はそうだったのだろうか?

「むかしむかしから?」
「ずっとずっと?」

それはいったい本気じゃないってことなのだろうか?

たぶん そう思う―
シェークスピアの劇をみればいい。
ゴヤのカリカチュアをみればいい。

◆もっとも―
もっとも、社会を戯画としてとらえるか、それとも、シリアスなものとしてとらえるか、はとらえる人に異なるものではあるのだろうけれども―そして、もちろん社会的に好ましい態度というものは後者だろう。が、おうおうにして後者にはユーモアが欠け、前者には誠実さが欠ける、とみなさることが多い。
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う~ん―そう―でも―やっぱり
やっぱり―
ぼくにとって社会というものは、いくつかの規則の支配する戯画だ。
そして―その戯画の中で生き、戯画の中で死んでゆくそれが人の人生のような、そんな風に思われてしまうのである。
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by tomozumi0032 | 2007-02-03 18:19 | その他
書くネタけっこうマメにさがして「ちょ~」まじめにがんばってたけど―
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ネ―
ネタがつきてしまった・・・。

からっからの草木一本生えない不毛地帯のようなとこにほうりだされたようなしろ~い空白感。
おのぞみなら「明日のジョー」のように燃え尽きたといってもいいだろう。リングサイドで、髪の毛は白髪でフッと眼をとじるあんな感G―DE R☆

廃人―HAISINN

もうすっかり、真っ「白」だぁ~☆

☆白
「白」ってことでいえば、東京は今年は雪がまだふっていない。イツだったか忘れたけど、ある朝おきたら雪のお化粧して、風景がウルトラホワイトの静謐につつまれてて、けっこうムーディな気分になって、SILENT POETSのPIANOのDUB SONGを聴きながら、連なる「分子イマージュの泉」に浸って、20世紀をみつめていた。っていうか21世紀は温暖化が促進するから~、雪は20世紀のイマージュとして、「22世紀」に語り継がれるはず―なんて思いながら、煙草の煙のシュールな曲線の美学に酔いどれていたような気がする。

☆22世紀
―といえばもちろんドラえもん。(通称「ドラちゃん」)
タイムマシンやタケコプター、そして尊敬するACIDユニット、THE ORBのMTVにも登場した未来イメージ。未来といえば、ドラちゃん、な、「はず」だが、地球温暖化の諸問題に対する回答はドラちゃんからひとつも引き出せていないことはこれからの課題であり、累積する諸問題への一つの回答となるだろう。

「あ~あ~こんな時ドラエもんがいてくれたらなぁ~」

という「のび のびた」の切なる希求がいまだに効力を帯びているというこの事実を断固見逃すべきではない、とぼくは考えている☆

☆「のび のびた」の叫び
「のびた」の駄目っぷりは同時に睡眠障害ストレスに悩まされる現代人に大きな示唆を与えてくれるだろう。つまり―3秒で眠れるあの驚異的な睡眠能力の研究。これがこそ、これからのますます神経症化し、昼夜の区別なく荷馬車のように働く現代人に大きな安らぎと癒し効果を与えるであろうことは、想像に難くない。

したがって―
今必要とされているのは―

のび のびたに他ならない。
つまり、のび のびたの不在を本気でわたしたちは憂慮しなければならない段階に、すでに差し掛かっているのだ。
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のびのびたをわれらに☆
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by tomozumi0032 | 2007-01-18 19:32 | その他
とても尊敬していた漢字の大先生がお亡くなりになってしまった。
謹んでご冥福をお祈りします。

以下―毎日新聞 2006 11・2☆

 漢字研究の第一人者の第一人者の白川静さんが先月30日、亡くなった。「逆風にむかって飛べ!!」。まだ白川さんが社会的な評価を受ける前、建て売りの小さな自宅に伺ったとき、さりげなくもらした。

 苦学して夜間の大学に通い、中学教諭を務めながら卒業。誰にも教わらず、甲骨文など中国最古の文字資料に取り組んだ。大学紛争の最中でも研究所は明かりがともっていた。ひたすら古典を読み、文字を論じたが、保守派だとみられ、逆風の中で羽ばたいてきたんだと。

 88歳で文化功労者に選ばれ、94歳で文化勲章を受章。表彰理由のひとつが「独力で完成した」について「好きなことを、自らの方法でやってきただけ」「学問は借り物ではできません☆どなたでも独学になるはず!」と語った。在野のような立場から、権威にも真摯に挑んできただけに「私のような者でも年金がいただけるとは―ありがたい!!」とも。

 少年のころ、東洋という語に心をひかれた。日本の古代を知ろうと万葉集に取り組むが、もっと東アジア的な視点が必要だ!、中国の古い時代を知らなければ!!と、考えた。甲骨文や金文の勉強にかかり、古代文字とのなが~い縁が続いた。

 「字統」「字訓」「字通」の字書三部作は、13年あまりかけ、80年代半ばに完成した。「命なりけり☆」の感慨という。しかし、文字の学問をやる人には「僕の一般書でヒントを得るだけではなく、僕のあるいた道から出発してほしい!」と、基礎資料を残すため最晩年まで奮闘した。

 漢字の使用制限など、戦後の国語政策を批判。漢字がこれほどひどい仕打ちをうけてきたことはなく、その結果、国語軽視の風潮が生じたという。

 漢字の習得が難しいというが「文化というのは、努力し、困難に打ち勝ってこそ生まれてくる☆」と。笑顔で「漢字は難しくないのよ。体系的なものですから、それが分れば、な~んの苦労もいらない!!」とも。漢字の成り立ちをもとに東洋の精神を古代に求め、文字文化に生涯をささげた碩学だった。

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白川せんせのスピリットは永遠に不滅―☆

ちなみに―漢字教育にびみょ~な距離の韓国のナムさんも―なぜかこれ読めっていってたらしいですよ。東アジア人必読、か?!読むべし!!

◆ほせ~はこっちら5つ―

☆1―松岡正剛「漢字の世界
文は刺青である!TATOO彫れ 文人ども!!

☆2-毎日新聞 「余禄

☆3―東京新聞 「筆洗

☆4―日経新聞 「春秋
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by tomozumi0032 | 2006-11-03 19:13 | その他
酒は誰でも酔はす
だがどんな傑(すぐ)れた詩も
字の読めない人は酔はさない
---だからといつて
酒が詩の上だなんて考へる奴あ
「生活第一藝術第二」なんて言つてろい

―と、かの中原中也は言っていたのですけれども、たしかに―そういわれてみれば、「本」と「お酒」というものは似ているもののようです。

本が好きな人というのはいつも微妙に酔っ払っているように見えてしまうので、どんなに高名な学者、偉大な文学者たれども、いかんせん真面目とは思えないのでして、むしろ真面目ぶれば真面目ぶるほど「低脳学者」「低脳文人」と鼻で笑ってしまいます―それでは本が好きではない人はどうかといえば、これもまた現実というものを素直に信じるという意味での単純な酔っ払いに見えてしまって仕方がありません。

これは―よいことなのか、
さては―わるいことなのか、
-と、いうのはよく分りませんが、すっかり最近は酒が入らないと本が読めない頭になってしまって「勉強してる奴=よっぱらい」、「活字好き=よっぱらい」といった体の認識しかもてないようになってしまいました。

文字が好きなのはみんなよっぱらいで、せいぜい社会というものはそのよっぱらいの構造秩序、ヒエラルキーを形成して、喜んでいるような「馬鹿」げた装置にしか思えません。だから―結局、この社会はよっぱらいの中での「プロのよっぱらい」を養成して、こいつこそは文化だ!、といっているだけなんですね。

かつて中国の書家五石散というドラッグに興じて、秀麗な書を生み出しましたが、しょせん文化なんてそんなもんだろ、と思ってしまいます―っていうか、いろいろいうけど、学者や文学者なんて所詮そんな程度の奴らだろって―ね。

ま せいぜいよろしくやるのがいいのでしょう―
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あっかんべ~☆
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by tomozumi0032 | 2006-09-08 19:29 | その他
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さいきんど~もマイブームなごきんんじょさん!
こんなカタガタがいらっしゃいま~す☆
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1、レレレのおじさま☆
この方はいつも朝手にほうきをもって、おそうじしています。とてもおえらい方だと思います。禅僧のヒエラルキーではえらい方が、あえて低い仕事をするそうですが、なんだか、そんな感じがしてしまいます。
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2、歌う男☆―はっぴ~やろ~―
夕方ぐらいかな―部屋の下をいつも歌う男が通り過ぎます。この男はいっつもバカみたいな大声で、バカみたいにアッケカラ~ンと歌っているので、いつか混ぜてほし~と思っております。
わ~お こらそん らてぃ~の!なんですね☆
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3、しょくにんのおっちゃん☆
部屋のそばのビルがとりこわされて、新しいビルに改装中!―で、その現場にとびのおっちゃん群がいるんだけど、どうみても一人飲んだクレのおやじがいて、あ~ラヴリ~なんです☆
こういう人にクラクラ!も、ちょ、かっこE~っす☆
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4、ちょい悪イタ女
ラテン語が耳をかすめた!とおもいきや、ぢつはイタリア語。そばにいるらしく、何回か、すれ違う彼女はなんか変な感じ。ちょっとナンパしよっと、と思わされちゃったりして。でもとっても素敵なボインちゃんです☆
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by tomozumi0032 | 2006-08-21 19:48 | その他
◆「 おっかちゃんよォ~☆」

◆「人間社会はそのDNA塩基配列を、社会ヒエラルキー構造的視座のもとに置換することによって、人的分配を行うものである。そしてそれらは幼年期の記憶形成から導き出され、社会における世俗的因襲を強固なものとする」
(モッコリンの遺伝子 第23節 講義「社会ヒエラルキー構造における塩基配列分配の公理」)
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◆20世紀の我ら人類が誇るべき、著名なる科学者C・モッコリン博士の高名なる論文「モッコリンの遺伝子」によれば、「人間というものはその対象を必ずしも見てはいない」ようである。それではなにを見ているのか、といえば、対象に折り畳まれた因子、すなわち遺伝子を、その顔貌性(ドゥルーズ)を見ているのである。つまり人というものは必ずしもそこに「ポッ」と液晶が点滅するように現れた、というわけではない以上、どこかの血縁的なものを背後にもち、それがどこに位置づけられるのか、記憶の地図によって、配置しているものだという。

◆それではそういった配置がどのように行われるのか―と、いうことを漠然とした心持ちであたう限りの記憶をサーチして、考えてみると、ふとしたそよ風のいたずらから思い当たる節がある。
それはなんだろうか?
それは母親の呼称である。
思い返していただきたい―母親の呼び方というものによって、幼年期、漠然としたヒエラルキー形成されていたのではなかっただろうか?
つまり―
ある子は「ママ」とよび、ある子は「おかぁさま」とよび、ある子は「おかあさん」とよび、ある子は「かぁちゃん」とよぶあの呼び方において―

◆一般において呼ばれていた最も普遍的な呼び方というものはおそらく「おかあさん」であったはずである。「かぁちゃん」という子もいたが、あまり一般的ではなかった。そして「ママ」という子もいたが、これはアメリカホームドラマの影響下の子供である。ここで描かれるヒエラルキーは、どちらかといえば、「ママ」が上位であり、「おかあさん」は一般、そして「おっかちゃん」は下位と思われていた。
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◆ぼくは小学生の頃全くそういった意識を考慮に入れていなかったのでこれはちょっと衝撃的だった―それからしばらく「ママ」から「おっかちゃん」へといたる呼称をめぐる放浪を続け、やがてTV液晶上で芸人コロッケの森進一パロディで、「ふいうち」のように出合った「おっかちゃんよ~!」というあの呼称へと行き着くこととなる―

◆そんな言い方もあったのか!、と軽くいなすにはあまりにも大きな価値感の眩暈―しかもあのくしゃくしゃの猿顔と「あぃ~!」の閃き―。
ママではない。おかあさんでもない。「おっかちゃんよ~!」なのである。森に見えるのはいわゆる郊外性のあの組み替えられた遺伝子配列ではなかった。それは母への巨大であまやかな慕愛の原型―日本的な、極めて日本的な―甘えの連鎖体の表現なのである。が、ぼくが見たのはコロッケである。つまりパロディとして、コロッケに都市的に数あるレパートリーの一つとして、演じられたにすぎないものだったのだ!!
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◆にもかかわらずこれはどういうわけか、ぼくには妙に新鮮な言い回しに聞こえ、「やっぱこれじゃん!おっかちゃんよ~」と思い、以後はよく母親を「おっかちゃん」と呼んでいた。別に大した意味はないし、モッコリンの、高名な社会ヒエラルキー説と照らし合わせてどうこうというわけではないのだけれど ―なんとなく・・・

◆「おっかちゃんよォ~☆」
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by tomozumi0032 | 2006-08-11 19:49 | その他
くるくるくるりん☆
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ぱたぱたぱたりん☆
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なんかあるかりん☆
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もごもごもごりん☆
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ぎざぎざぎざりん☆
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くるくるくるりん☆
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by tomozumi0032 | 2006-07-17 01:51 | その他
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◆ぼくには―精神と肉体があって、時々精神と肉体の仲が悪い・・・

◆なんだ この葛藤は!ふざけるな!バカモン!!と時々とりとめもなく思う―こんなことではいかんぞ、不屈の精神はどうした!タフだ タフにいけ!都会はタフでドライな場所だ、ロッキーの―あのスタローンの闘志を忘れたのか?ジャッキーはどうした?いつまでもゲンドウに甘えてるシンジじゃないんだぞ・・・勝て!勝つんだ!そしてやれやるんだ―などと。

◆おいおい ちょっとまて ぼくちゃん!ちがうのだ!そうではな~いのだ!!
断じてふざけているのではない。
―回想してみよう。メタルモノクロームの風景―8歳のぼく―車に乗せられて置いてけぼりにされた駐車場で、COSMIC21というグミキャンディの熊のカラフルグミを見つめていた映像だ。そしてCOSMICだけが妙に生々しいケミカルな蛍光色に浮遊している。ぼくはこのグミをひたすら凝視しながら、この世とのどうにも埋められない乖離感をぼんやり感じていた。と、同時に、その時「あちゃ~こりゃぁ だめだめ・・・」ということをなんとなく認識してたってわけだ。ひたすら乖離し、捉えがたい生の間隙・・・いつも脳味噌から零れ落ちてしまうもの・・・

◆これは欠如感だろうか―Aha そうだろ メイビ~。だがみなが感じている欠如感なのかどうかわからない。ちなみに参考までにいっておけば、マーシャル・サリーンズの経済理論によれば、欠如というものは市場価値から導き出されるものであり、市場があるから欠如が生まれるらしい。精神分析医のラカンによれば、自我は☆(☆Sに打ち消しの/)と言う記号で表現され、自我とは他者の欲望であると定義される。と、いうことは人間というものの認知能力と論理言説能力というものにはある種の限定が含まれていはしなだろうか?

◆ぼくは―そんなことまだ考えてるのか!と、いわれてもなんでも―やっぱり「なんか駄目」なのである!このことはいくら強調しても余りある事実だ。そう いつも 駄目だった。あんなときもこんなときも。ハッピ~るんるんの時も、いけいけの時も、そうなのだ、BARの片隅でくゆる煙草にロックを聴いた惨めなで哀れな―あの時も―所詮は付けヤエバの浮遊感・・・感知可能、了解不能な世界・・・終わらない葛藤と矛盾の日々・・・

◆だめだめ宣言、をしたい☆~☆~☆
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「な―
なんかだめですみません☆」
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by tomozumi0032 | 2006-07-09 06:14 | その他
 東京の都市は、日々新たに自分をつくりかえております。

 朝ごとに人々は清々しいシーツの中でめざめ、毎日補充される液体石鹸の泡で体をあらい、輝くような新しい部屋着をき、パーフェクトな冷蔵庫からまだ開封されていないプラスチックの袋を取り出し、最新型携帯端末を通じて最新のおしゃべりに興じます。
 歩道の上には、清潔なポリ袋に包まれて、前日の東京の残り滓が清掃の車を待っております。ひしゃげた歯磨きのチューブや切れた電球、古新聞、空きケース、梱包材料ばかりではございません。湯沸かし器や百科事典やピアノや茶器セットまでございます。毎日毎日つくられ売られ買われる品物よりも、東京の繁栄は、むしろ毎日捨てては新しいものと取り替えられる品物の量によって測られるのでございます。そのさまはまことに、東京の真の情熱はほんとうに人々のいうように新しいさまざまの品物を愉しむことにあるのか、それともむしろくり返しあらわれる不純を追放し、遠ざけ、浄化しようという点にあるのではないかと疑われるほどでございます。たしかなことは清掃人夫は天使のように歓迎されているということでございまして、昨日の生活の残りを運び去るという彼らの務めはあたかも敬虔の念を掻き立てる儀式のように、無言の敬意に取り囲まれておりますが、あるいはそれもただ、一たんごみを捨ててしまえば、そのあとはもうだれ一人そんなことを思い出したくもないというだけのせいかもしれません。
 年ごとに都市は広がってゆき、清掃人夫たちはさらに遠くへ退いてゆかねばなりません。膨大な量の廃棄物はますます増えて、その山はますます拡がってゆく外円にそってそびえたち、層をなし、ならされてゆくのでございます。その上、東京の技術が新しい資材製造に優秀さを加えれば、加えるほど、ごみの山はその内容がますます改善されて、時間にも、天候にも、発酵や燃焼にもますます耐えられるものになってゆくのでございます。それはまさに東京の都市を取り囲む、破壊不能の残骸物の要塞であり、高原さながらに四方から都市を見下ろしているのでございます。
 その結果はといえば、すなわち、東京は品物を追放すればするほど、それをますます集積するのだということでございます。過去の鱗が脱ぎ捨てることのできない鎧となって凝り固まってゆくのでございます。日ごとに生まれ変わりながら、この都市は唯一の決定的な形によって自己のすべてを永久保存させるというわけでございます。すなわち前日のごみも、前々日のごみ、日ごと年ごと代々のごみのなかに積み重ねられて得られる形でございます。
 東京の塵芥は次第次第に全世界をおおってゆくということでもございましょうか、そのはてしないごみ山の遥かな稜線の彼方で、もしも他の国々のごみ山が押し返してくるということがなかったとしましたならば。というのは、それらの国々でもやはりうずたかい廃品の山を遠くへと押しやっているからでございます。おそらくは、東京の水平線の彼方では、世界全体が塵芥の火口丘で覆われているのでございます。絶えず噴出を続ける首都をそれぞれ中央に隠しながら。敵同士の都市の国境は互いのごみがかわるがわるに支えあい、重なり合い、混じりあう、非衛生きわまりない保塁となっている有様でございます。
 その高さが高くなればなるほど、崩壊の危険がますます迫ってまいります。ただの空き缶一つ、古タイヤひとつ、ワインの瓶一本でも、東京のほうに転がりだしただけで、片方の靴、過ぎ去った年のカレンダー、干からびた花どもが雪崩れをうって襲いかかり都市をおのが過去のなかに埋め尽くしてしまうのです。虚しく遠くへ押しのけようと努力していましたのに、今度は水平線の向こうの隣国の過去までも混ぜ込んで。おかげで隣国は、そのときこそ、ようやく清潔になれることでございましょう。ただ一度の大地震がつねに新たな装いを誇り続ける都を跡かたすらないように葬り去ってしまうことでございましょう。はやくも近隣諸都市ではローラーを動員してまちかまえております。海を埋め、地面をならし、新しい領地に進出し、いっそうの巨大化をとげ、新たなごみ捨て場をさらに遠くへもってゆこうと―
(小説「見えない都市」イタロ カルヴィーノのパロディ・再解釈)
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by tomozumi0032 | 2006-06-18 01:09 | その他
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