カテゴリ:コーネリアス( 7 )

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☆フランスの学者ジャックアタリがその著書の中で「音楽は来るべき時代を告知する」と書いていましたが―日本では、ピチカートとコーネリアスから時代が変わりだした様なそんな風におもう今日この頃―
洋楽と邦楽の垣根がなくなって、音が抽象的になって、洋楽も邦楽も貪欲にいろいろ吸収して面白い音を出すようなグループが数多くあらわれて、ああこんな風に音楽は発展してゆくものなんだ、というのを実感として感じたような気がします。

☆「コーネリアス」には時代の「共同体無意識」というようなものがあって、アメリカ人でも、フランス人でも、スペイン人でも、ドイツ人でも、中国人でも、日本人でも―共有できるようなインターナショナルでインターラクティブな共有記号のように思います。
そしてそういった共有記号の先に何があるのだろうか―というのは興味のそそられるところです。ひとつの言葉からなる社会共同体や国籍はまだ強固に機能しているものですが、そういったものが徐々に中和され、共有されるようになってゆく時代のひとつの運動点として、コーネリアスを観察していています。つまり―統合されない、分裂した瞬間瞬間の意識として、わたしたちはある意味では社会共同体的なものとコーネリアス的なものとの中間地点に位置しているといってもいいのではないでしょうか。

☆言葉というものは、ともすれば―鈍重な枠組み、重力に支配されがちですが、音はそういったものに支配されず、無重力空間に近く、作者の意図を超えて解釈されうるという意味でその「時代状況」の最前線なのではないでしょうか。そして音と言葉は相互に浸透し合う領域が大きいと個人的に考えています。つまり―小説というのは「音」です。意味もありますが、なにより「音」の有機的な組織であります。
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☆もしかしたら―情報過多の現代人は都市ノイズに耳を塞ぐことなく、より鋭敏な耳の存在を取り戻すときにきているのかも知れません。

☆作品を個別に見たいかたはこちらからどうぞ―

☆「SENSOUS

☆「MUSIC

☆「POINT

☆「FANTASMA

☆「69/96

☆「The first question award
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Sensuous

Cornelius / ワーナーミュージック・ジャパン

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☆個人的な感想
 1、2,3枚目ぐらいまでは具体的な対象があって、その対象についての音といった感じを受けたが、前作―そしてこのアルバムになると、もう具体的な何かについての音というよりは、音そのものであり、自分がなにを心地よいと思い、どういうことが好きで何ができるのかということをよく弁えているような印象は受けた。
 う~ん コーネリアスも洗練されたもの。
 つまり―これは自らの美学に基づいた音が抽出されて、整理されて、提出されているアルバムじゃないかな。ここまで洗練された「音」を思うがままに扱えて、組み合わせられ、楽曲として提出できるって本人はプロ意識がないというが、もうプロ以上のプロ、というか非常にUNICOな存在だと思う。

 ハレーションを起こさせられたり、酔わされたり、あっちつれてかれたり、こっちつれてかれたり、飛ばされたり、落されたり、叩かれたり、浮かされたり、腰をスウィングさせられたり、頭をグルグルさせられたり、そんなあんな動きが楽しい―
 
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 まぁ ある程度年をとって、だいたいのジャンルの音楽を聴くと、こんなサンプリングミュージック全盛の時代だし、だいたいが系統で分類できちゃうんで、分類から聴いちゃう癖ができちゃうんだけど、これはあまりそういった分類が当てはまらない音楽。小山田ならではの時間がキチンと収まっていて、小山田でしか出せない音といった感がある。

 ユニークな音です☆
 ちなみに中の写真は「駒沢公園」―
 え?ええ~ なんで~?
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point

CORNELIUS 小山田圭吾 / ポリスター


                    ☆個人的な感想
 不思議な音楽―あまり聴いたことがない音楽という第一印象だった。
 スペインで父と一緒にきいていたが、父は
「武満徹か こりゃこりゃ!」
 と、いっていた。
 そういわれてみれば、なんだかそんな感じもする・・・。
 同時に環境的で、ノイズ(―といってもメルツバウや中原昌也的なものではなくて、JOHN CAGEのいう白色濁音に近い清冽なホワイトノイズだ)に近い印象も受けたが、一番強い輪郭を描いた印象は「日本っぽい」というもの―どういう風にかといえば、日本的なメランコリアや音の戯れ、雑音、自然の情景や風景が清冽なエレクトリックの俎上にのせられていて、これは海外輸出を計算したPOPな日本美学だなぁ、という風に。それはおそらく一枚目あたりの詩的言語を捨て去ることによって、詩的言語に込められていた情念を、ひらがなへ―ひらがなと親和性がたかくより乾いたマトリックスとしての音へ―と、転送することによって成立するような音世界であるように思った。
 ここでは耳が非常に研ぎ澄まされている。
 これは―耳の音楽であり、聴くことをより周囲から切り離して、「行為化」させるものだ。その意味で環境音楽やアンビエントミュージックに近い位相にあるのではないだろうか。

 でもオリジナリティあふれてて、個性的。

 ちなみにファンキーな曲がいいなぁ~☆
 
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Music
Cornelius 小山田圭吾 / ワーナーミュージック・ジャパン



バルセロナに行ってた頃、よくスペイン人やフランス人の友人とコーネリアス話をした。
あっちのミュージックフェスに「ピチカートファイブ」や「ファンタスティック プラスティック マシーン」などと参加していて、バルセロナでもちょっとお洒落な人は聴いているコーネリアス―なんて感じで、「お~!!世界進出してるな~」と思った。

さて、シングル―
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まずジャケットの写真はおそらく彼のスタジオだろう―
このカラフルなプラグの垂れる枠は入り口だろうか?出口だろうか?つまり外から中を撮ったのか、それとも中から外を撮ったのか?
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中折りへゆくと、スタジオの中心からパノラミックに室内風景が展開され、どうやらこの写真が中から取られたことが分る。だからこの「MUSIC」のタイトルの位置はスタジオの外へと誘われる中心に―つまり入り口ではなくて、出口に置かれているということになる。中へ誘われるのではなく、外へと、出口へと導かれる視線―これは作中二曲目の「GUM」の歌詞の「糸結んだ 凧が飛んだ 空浮かんだ 雲の上 西の風 ふわり乗って 世界を横断 国境を横断」という部分に対応するように思う。こういった「おたくな情報空間カプセルの世界横断」という夢想を、いつも小山田はもっていて、それはコーネリアスにずっと引き続いたテーマのよう。それから、このJK風景というものは、どうしてもBIG BEATのDJ「ファットボーイスリム」のアルバムJKと較べてしまう。ファットボーイのもやはりJKに、膨大な量のデーターベースとしての蒐集レコードを羅列させていたが、小山田のスタジオは、より―簡素で、さらに―ミニマルな印象・・・こういったミニマルさは4thアルバム「ポイント」で提示された肩透かしされるような―透明なミニマルさ感覚と通底するものだろうし―小山田の根底にあるある種の「明晰さ」「透明感覚」といったようなものを暗喩しているかのように見える。実際このシングルもまた大きな路線変更なく、透明な言葉遊びと透明感のある音を指向していて、良くも悪くも「変化がない」と思わされた。

1・・4THの<目玉ぐるぐる>になるような、「大きな変化の触れ幅の小山田くんが好きだった」―と、いうAPEなぼくには、少し残念・・・。

いつかレヴューに「論理と文学性の小沢、感覚と遊び心の小山田」と書いてあったんだけど、あれって違うんじゃないか、と思う。っていうのは、小山田は小山田独自の文学性を追求しているんだけれども、それが折り畳まれる文学的な系譜に欠けているんじゃないでしょうか?つまり―小沢は国内的に折り畳まれる地点が見やすいのにたいして、小山田はその折り畳まれるがイマイチはっきりわからない。逆にいえば、だから―小山田は「戦略的に海外向け、横断的」なのだといえそう。そういった不詳さもミステリアスな魅力を放っているのかも知れないんだけれど―

「言葉」を、「意味」ではなくて、「音」として機能させる小山田の手腕は個性的で、社会のいわゆる「書き言葉」に対する軽快な批判だろうし、きき込むのに普段使わない方向の脳と感性の使用が必要っていう意味でもあんま変わんないけれど―う~ん―でも、もぅちょっと新趣向を打ち出して欲しかったような気もする。言葉悪くいえば、ちょっと「ワンパ」、かなぁ・・・

アルバムに期待☆

☆ちなみに最後の曲は曲の「間隙」と「沈黙」を味わうものでしょうか?ジョンケージの「4分33秒」と同様に―「メッセージ」ではなくて、「風景」としての音―そこにこそコーネリアスが放つべき音楽の換骨奪胎の真骨頂としての「戦略」がうかがえます。これはPOPでありながら、限りなくPOPを異化させてゆくような、そういう音群であるように考えられます。
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Fantasma

Cornelius / Matador


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                     ☆個人的な印象
60、70年代的なものを巧みに構成し再編集してみせた一作。SonicsやゲンズブールやB級ロック、エレクトリック、アブストラクトのモザイク、こういった色々な時代の色々なキャラを演じ分けて見せられる小山田のMTV的分裂的才能はなかなかだが、これが一番プライマルスクリーム的というか、BLUR的というかUKインディな試みに近い気もする。偏執的で緻密な音作りは彼の特徴なんだけど、やかましい狂騒じみたパロディとどこか穏やかな彼のヴォーカルがちょっとMY BLOODY VALENTINEみたいでもある。表面的な狂騒と不思議な静寂が内部に秘められているところがよいのではないだろうか。どこかしら―明晰というよりは、自己乖離症的な幽体離脱感覚が小山田にはうかがえて、同世代的なものを感じる。
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69/96

cornelius
小山田圭吾 かまやつひろし / ポリスター

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☆個人的な感想
 手塚の漫画にロックというキャラクターがいるんだけど、知的でお洒落で悪賢くてチャーミングなキャラとして描かれていて、小さい頃怖いのだけれども、魅力を感じずにはいられなくって、「時計仕掛けのオレンジ」を見たとき、ハッとロックを思い出した。アレックスの影は間違いなく手塚のキャラクター群に影響を及ぼしていて、それがダイレクトにキューブリックで描かれていると知ったとき衝撃を受けて、貪るようにキューブリックを見るようになったのだが、その残滓というか、爆裂の光源の飛散のようなものが小山田にはあって、角をつけて、羽を生やして、尻尾をふるなんてアレックスの反映としての、「バンパイヤ」のロックではないか、などと思ってとても好きになった。音も緻密でマニアックでレコードマニアの心をくすぐるようなものだったし、センスがとてもいいと感じた。小山田は実はロックだったのかと知った―意味で衝撃的だった作―
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このアルバムはとてもPOPな感じがする。
個人的には好きである。まずここには詩があって、けっこ~頑張って詩を書いているようで、なんだかこういう傾向は最近のにないんでいいと思う。詩は漢字が多い。ちなみに莫迦まで漢字になってる。白川せんせのファンである文学少年(?)のぼくとしては「言葉つかっててエライ!」と思いました―さらに「パラダム」や「五次元」や「別の宇宙で会おう」―なんて言い回しがあって、SFっぽい。つぎに本や映画に関する語彙も充実している。本と映画ってことで音よりもその他の文化との関連がうかがわれるところもいいので、近い将来とはいいませぬが―いつの日にかこういった文学や映画やゴダールみたいなものに帰ってきていただけたら、応援のしがいがあるというものでございますが、いかがでしょうか。最後に強度や余韻としての音ばっかに行き過ぎないで、たまには振り返ってみたりして欲しいなぁ・・・あ~あ してくれればいいのになぁ~(笑)
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