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ニューロマンサー

ウィリアム ギブスン 黒丸 尚 ウィリアム・ギブスン早川書房



未来の詩情と生活感覚をスピーディなサイバーワールドと千葉と世界の各都市を舞台に描き出す。インテリ/テクノクラートの知的でエレガントなSFではなく、ストリートライクで刺激的。拡散したテクノロジーが齎すだろう未来世界を技術論のみに留まらない包括的でポストモダンな感性で描いて見せる。卓越した比喩と鮮烈な色彩感がヴィジュアル的でMTV小説。設定が複雑で、場面転換がはやく、ハードボイルドの格好よさを追求する文体はまさに「超充電(スーパーチャージ)」-張り詰めた緊張感が瑞々しい。
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◆「夜の街は社会ダーウィン説の狂った実験に似ている。退屈しきった研究者が計画し、片手の親指で早送りボタンをおしっぱなしにしているようなものだ。ヤバいことをやめれば、跡形もなく沈むし、ちょっと早く動くすぎれば闇マーケットの危い表面張力を破ってしまう。

光輝くエレクトリック都市の描写は肉感的で色彩に満ちて鮮烈であり、どこか突き放したようなクールな風情がある。つまりそれは千葉であっても生活者の視座から眺められた千葉ではなくて、文脈横断された先行的な地図、シュミラルクルで気違いじみた都市の美しさがここには確全とあって、眩い光芒を閃かせる。

◆「紫煙たちこめる中を灼き貫く幻影、「魔術師の城」「ヨーロッパ戦車戦」「ニューヨークスカイライン」などのホログラムの下-今のケイスはそのときのリンダを想い出す。顔が絶え間ないレーザー光に洗われて、眼鼻立ちが記号にまで還元されていた。魔術師の城が炎上すれば頬骨は真紅に輝き、ミュンヘンが戦車戦に陥落するとき、額は紺碧に濡れ、滑るように動く指標点が摩天楼の谷の壁面から火花を散らすと、唇が熱い金色に染まった。

各都市における器官の売買、肉体改造の精度とソフィスティケートが興味深い。都市は肉体改造基地であり、都市間での競われている改造肉体は(まるでこの世界に存在する最後の自然であり、人工化されねばならないといわんばかりに)軽視されており、様々に改造されている。

◆未来のモードが消費財の広告よろしく全編に網羅されていて、快楽的。「2001年宇宙の旅」が「クレージュ」、「カルダン」的消費快楽に満ちているとするなら、ニューロマンサーは「ディオール」「ジョンガリ」的であるといってもいいかもしれない。ストリートクチュールのエスプリ。物をモード的に捉える自意識が発達しており、全てが最先端消費物であるところが、現代日本のメカニカルコンシューマーカルチャーから肉体感覚の延長として理解される。要するに消費の気持ちよさに溢れていた小説なのだ。とても20年前の小説とは思えない新鮮さが未だにある。光と形態と色彩の詩人であり、各種テクノロジー&ドラッグによる感覚の拡張された(あるいは感覚の人工化された)風景が燦然と目眩めくように展開されてゆくのは魅力的。また「JAPANESE COOL」などと呼ばれる潮流のスタイリッシュな感覚統合の起点はこの小説の中にあるだろう。様々な日本製テクノロジー、千葉の神経外科の闇クリニック、棺おけ、サラリーマン、忍者、やくざ、冬寂(これってわびさびの精神なのだろうか)、東京の最先端モードにゲームセンターなどが放縦に、他国のものとREMIXされていて、この小説の揺るがぬオリジナリティとなっている。この世界の中では現代社会の中で隔てられているものが渾然一体となっていて混沌としている。未開と文明、自分と他者、世界の外部と内部、機械と生身の肉体、東洋と西洋、大衆とエリート、現実と非現実がごった煮になっている。

◆これだけ人造物に囲まれた世界にいるとその構造と処理だけで小説が出来てしまうという意味ではドストエフスキーの停滞した地下室の意識の対極にあるともいえる。だが各々が各々にアウトサイダーであるところが面白い。ドストは心において、ギブスンはその徹底した人工性においてアウトサイダーだ。

◆この人は龍安寺の枯山水の石庭のような徹底的な人工世界を志向している。究極ではそういう日本趣味である。花鳥風月や四季の美しさに代表される自然を慈しむ日本ではない。

◆なにより―とても洒落ている。遊び心と洒落。そして生物学的人間への視点。
COOLな一冊☆
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