カテゴリ:マイケル・ウィンターボトム( 1 )

24アワー・パーティ・ピープル
HPはこちら http://www.gaga.ne.jp/24hour/
2002年 イギリス
監督/マイケル・ウィンターボトム
出演/スティーヴ・クーガン


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★もちろん一つの映画というものは非常に多くの情報を孕んで成立しているわけだし、こういった多くの情報というものは扱い方によって、いかようにも変化するものであるのだが、ある意味では深読み可能な「のりしろ」を多く持っていて、意味づけたりすることをせずに放置しておいて逆に解釈する側に読ませるという意味での才能というものも確かにあるとは思うのだが、この映画の場合にもそれはいえると思う。

★―というのは能天気でHAPPYな題名が意味するところというのは、ある種その「貧弱さの逆説的な露呈」といった側面もあり、つまり、パンク以後に24時間パーティーを続けるということへの強い願望熱意のようなものが窺われて、そういった熱意が起こる場としての時代背景の空虚さのようなもの(リチャード ヘルは「ブランク ジェネレーション」と歌い、ピストルズは「退屈すぎる」とうたったあの時代背景)は作中で主人公のジャーナリストであるトニーウィルソンによると、極右政党の国民戦線がマンチェスターでネオナチファシストの運動デモ、運輸一般労働組合がストで石油供給の締め付けを行い、英国経済は混乱、石油の配給制度や週三日営業の噂に何千台もの車が行列し、公共事業もスト、ロンドンは塵で溢れ帰り、看護婦は病院を閉鎖、リバプールでは墓堀人が埋葬拒否という緊迫した社会情勢の中であって、つまりこういった背景をもって胚胎されたパーティーへの願望というものはどこか悲痛でやりきれない状況からの脱出という現実逃避的な側面を持っていることが窺える。
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★だからこの題名のHAPPYさというものは実はそれほど信じられるものとも思えない。トニーの魅惑と教養ある饒舌に眩惑されて丸め込まれるのはあまり賢明ではない。さらにいえばナチの強制収容所の売春施設の名を冠した「ジョイ ディビジョン」なるバンドの命名が意味するところがどのようにしてこのHAPPYな題名と連結するのかと疑ってみることもできるだろうけれども、それでも、そういったものを乗り越えて、徹底的にHAPPYに快楽的に生きようとする意志は伝わってくる。

★なにか現実にそうであるというよりは、そうでありたいという憧れの凝結した映画のように見えてしまう。というのは、明らかにこの時代―そして今という時代に欠落しているものは、60年代の若者のあの牧歌的といっていい伸びやかな未来への信頼感であり、こういった状況は殆ど日本も同時代的に問題として抱えているもののよう。

★イギリスのロックジャーナリストジョン・サベート氏は「イギリス族物語」の中で60年代の若者と90年代の若者を比較し概略して2つの要点的差異を呈示している。

1、資本競争拡大による各種規制の撤廃を定めたニューライト政策の施行。これによって、ポストモダニズムが生まれたと同時に競争が熾烈さを増し、うみ出されるものは軽薄になってゆく。目にする情報が極めて多いにもかかわらず、得られる内容は少ない。

2、パワーの違い。60年代の人工的にも多数派で経済的にも持てはやされたころの若者は、リスクを覚悟で自分自身の価値観を貫くパワーをもっていた。「若者のライフスタイル調査」ではほとんど触れられることのない点だが、今日の若者の隠れた一面として、著しい無力感、何のパワーも持っていないという意識を彼らが抱いていることが挙げられる。
 
この映画に見られる若者はこういった状況を背景に背負いながら、24HOUR PARTY PEOPLEであることを志向しているのではないだろうか?

 
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★本題-この映画は、「欲望」アントニオ ミケランジェロで描かれたピーコック族を蹴散らすように不況と憂鬱の経済学を背景としたパンクが登場した後、その蒔かれたパンクの種が英国北部のマンチェスターという街で紆余曲折を経ながらもアシッドハウスを組み入れたマンチェスターサウンドとして成長し、「ハシェンダ」というクラブで花開き、そしていかにその花が潰えるかの絵巻である。これは一都市の街起こし的成長の物語であり、トニーの文化プロパガンダ的饒舌によって、小文字でフラクタルでキッチュな模造物が現代において、「文化」として膨張流通し、光り輝く記号と化し、周囲を巻き込みうるかの物語として読めた。

★もちろんトニーのような男は文化の広報活動には必要だろう。でも、このトニーにおいて執拗に拘られるのはあくまで歴史的な連続性であり、そこが可笑しい。その意味では、まったくいい子ちゃんなヨーロッパ人なのである。

★この男―ダダではないし、シュールレアリストでもない、パンクでは全くない、彼がパンクから何を学んだのかといえば、自分も出来るというその事だけだったのではないかなどと思う。けれども彼はジャンキー酔いどれダンサーであるマンデースのべズかショーンをどうしてもイェーツに連結イメージさせたいらしくて、作中盛んにそのことが連呼されており、それが文化というものはそんな風にしてつくられるものなのかなぁ、という笑いを呼び起こされてしまう。

★もちろんトニーはいいコちゃんといってもやり手であって、きちんとドラッグはきめ、快楽主義を謳歌するのだが、基本的には弁が立ち、ウィットと機知に富み、果敢で機転が利いて、教養があり、親切で面倒見がよくて寛大で甘いマスクで誰にでも好かれるキャラクターなのである。そうしてこの映画の何割かは彼の人間的な魅力によっているように思った。
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★最後にトニーは見事に田舎街マンチェスターを世界が羨む若者文化発信地に変えたのだが、それは同時に「銃と麻薬、暴力」を蔓延させることになり、自らが孕んだ毒によって自らを潰やしてしまう、このことに対してロマンチック以上の踏み込んだ言及がなかったのは物足りないところだった。別にモラリスティックな問いというわけではないが、それは街の活性化の必要悪なのか、それに対してもう少し対処する方法がなかったのか、などと考えるのは真面目すぎるのかしらん(笑)

★それからマンデーズのショーンとはあまり似ているとは思わなかったが、ジョイディビジョンのイアンカーティスは感じがとてもいいと思った。
もちろんこれは個人的な意見だけれども☆
ショーンもっとだらだらしてるけどピシッとした俳優のほうがよかったんじゃないかなぁ~☆

STEP ON!!!!!!
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