カテゴリ:スティーブン スピルバーグ( 3 )

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★フランク W アバグネイルJR
◆この映画は実在の男をモデルとして、レオナルド・デ・カプリオが演じています。その男の名は「フランク W アバグネイルJR」といいます。

「1964年から1967年まで、パンナム航空のパイロットになりすまし、320万キロをただ乗りし、大病院で小児科主任医師になりすまし、ルイジアナ州では偽検事補佐、逮捕時には犯罪史上もっとも若い大胆不敵な詐欺師といわれ、26カ国と全米50州で小切手偽造で得た総額は400万ドル。それも「19歳」の誕生日目前に―」

◆若き天才詐欺師―その魅惑的で華やかな人生の映画です。

★子供には力があるということ―子供のマジカルな力を表現するスピルバーグ

◆えっと・・・まず、すこしこの映画の監督のことを話して、導入としませふ。
映画監督スティーブン・スピルバーグは現在もっとも名の知られたアメリカの映画監督のひとりです。

◆製作総指揮作をふくめれば、「ジョーズ」(1975)、「未知との遭遇」(1977)、「E・T」(1982)、「グレムリン」(1984)、「グーニーズ」(1985)、「バック・トゥー・ザ・フューチャー」(1985)、J・Gバラード原作「太陽の帝国」(1987)、「インディ ジョーンズ」(1989)、「ジュラシックパーク」(1993)、「シンドラーのリスト」(1994)、「プライベート ライアン」(1998)、「A・I」(2001)、P・Kディック原作「マイノリティ・レポート」(2002)、この「キャッチ ミー イフ ユーキャン」(2002)、H・Gウェルズ原作「宇宙戦争」(2005)・・・などなど、誰もがなにかしらはTV等で見たことのあるのではないかしらん。いがいと、SFの巨匠(J・Gバラード、P・Kディック、H・Gウェルズ)の作品も手がけています。

◆映画を撮るのがはやくて、うまい。
映画の機微と手練手管を知り尽くした現代の映画職人の名匠だと思います。アメリカ郊外の中流的な、育ちのよい(それは今の社会では、「イメージ」をいかにとり扱うか知っているということですけれども)―映像感覚があります。それから、そのデビュー作「激突!」(1971)から「トランスフォーマー(製作総指揮)」(2007)にいたるまでずっと映画やSFX、そしてなにより「テクノロジー」と「機械」に対する「子供っぽい憧れ」をもちつづけていて、それがかわらない映画のモチベーションとなっている。

◆こんなにダイレクトに、幾つになろうとも「子供っぽい憧れ」を保ちつづけられるというところにスピルバーグの凄さを感じてしまいます。それはある意味ではアメリカ人が普遍的にもつような「子供の遊び」のようなものであり、だからこそ多くの人を魅了するものではないでしょうか。

◆スピルバーグ映画を見ていると、「子供」であることの中に人生すべてはふくまれていて、「大人」は「子供」の中にあり、あとはそのくり返しなのだと思わされてします。

◆それから、スピルバーグは「子供っぽさ」のなかにある聖性のようなマジカルな力をおそらく本気で信じている人だと思います。「E・T」でも、「太陽の帝国」でも、「A・I」でも、そしてこの「キャッチ ミー イフ ユーキャン」でも、子供っぽさがひとつの犯すべからざる力として機能する光景がくり返し描かれています。

◆自分の中にある大人を信じずに、子供を信じること。
つまり、成熟するのではなくて、未成熟でありつづけること。
ピュアなもの。イノセントなものへの崇拝の思い。
そしてその挫折と苦い哀しみ。

それらのメッセージのいずれかが、スピルバーグ映画に読まれるのではないかと思います。
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★スピルバーグのあらわすアメリカへの喪失感
◆スピルバーグ映画を特徴づける感覚は、アメリカの輸出品として、全世界が共有するような―そしてそのあとをアニメとマンガで日本が追っているような―「郊外中流感覚」です。

◆スピルバーグ映画は、ゴダール的な洗練された抽象劇ヴェンダース的な人間の孤独なさまよい王 家衛的愛の不毛なすれちがいキューブリック的な映像美学や皮肉のきいた哲学を表現しません。

◆そのかわりに、エンターテイメントの楽しさや、アメリカ人らしい無邪気な奔放さ、人物にたいする子供っぽい憧れ、豊かな中流感覚の「遊び」、人生の黄金時代への郷愁―スピルバーグ映画ではそれはたいがい「子供時代」なんですが―、そしてその子供時代へは戻れないことへの「喪失感」をあらわします。

◆こういった認識はいわゆる「ロスト ジェネレーション」同様にアメリカ的な、モダンの時間軸と物質的な価値、人生観によって描かれます。モノと金に支えられた豊かな生活と過去への郷愁―おうおうにして、それはアメリカの黄金時代と重なります。つまり、ピュアで素朴で力強い、かつてのアメリカへの甘い郷愁です。(だから、スピルバーグはアメリカの力が正しかった「第2次世界大戦」は描いても(「太陽の帝国」、「シンドラーのリスト」、「プライベート・ライアン」)、アメリカの力が正しさを疑いはじめた「ベトナム戦争」は描きません、たとえば、ゴダールやオリバー・ストーンが描かざるを得なかった混沌を描かない。そこがスピルバーグのファンタジーなのでしょう)

◆結果として、スピルバーグ映画はある感覚を帯びます。それは現代の映画から見ると、「育ちのよさ」と「ヒューマニズム」、そしてアメリカの人間観を代表するなにかです。そして、2000年代以降の映画―「A・I」、「マイノリティ リポート」、「キャッチミーイフユーキャン」の3本はそういったモノが失われて、さまよっているような印象を受けます。

◆それは、つまり「喪失感」―
失われてしまったアメリカ―
ピュアなアメリカ、素朴なアメリカ、強いアメリカ、希望にみちたアメリカ、家族的なアメリカ、子供時代のアメリカ・・・それらは喪失されてしまった。

◆この3本の映画の主人公はいずれも、失われ、欠けてしまった「家族」をもとめて、もがき、悩み、苦しみ、さまよいます。でも、そのいずれも「家族」が回復されることはありませんでした。

そんなところに今のアメリカの状況を示すなにかがあるのかなぁ~と思いました。
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★自伝的な型破りさ―社会をあざむく華麗な変装
◆さて、話題をかえて、スピルバーグとこの映画の主人公フランク W アバグネイルJRをつなぐ話をしてみましょう。スピルバーグが好んでよく話すという、若きスピルバーグ自身のエピソードにこんなものがあります。

◆「1965年、17歳の映画少年スピルバーグはロサンゼルスのユニヴァーサル・スタジオへ「観光ツアー」の一員として訪れます。当時、ユニヴァーサル・スタジオは映画にまつわる、さまざまなセットが見られたんですが、撮影現場は見られませんでした。そこで、スピルバーグ少年は休憩時間にツアーを抜け出して、スタジオにもぐりこみ、撮影を見学した。あくる日、また撮影が見たいスピルバーグ少年はビジネススーツにブリーフケースといういでたちに変装し、撮影所に出かけ、撮影所のガードマンに若手重役のように挨拶し、それから、毎日撮影所にかようようになりました。そして、そのうちに空いているオフィスをみつけてもぐりこみ、内線電話も自由に使うようになった。彼の変装は成功して、顔見知りも何人かでき、本物の重役と信じる人もいたそうです」(「スピルバーグ」(講談社現代新書))

◆なんだか、この映画の主人公「フランク W アバグネイルJR」を地でゆくような、破天荒な話ですが、おそらく、そういったスピルバーグ自身の過去とこの映画を重ね合わせているようです。その意味でこの映画はきわめてスピルバーグ的であるといえます。

◆華麗な嘘やでたらめ、変装、詐欺―それらでさえも魅力にかえてしまう表現の魔力、善悪を超えたチャームの力☆

その2へつづく☆
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その1はこちら☆
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★みんなに愛されること
◆えっと、つづきです―。

◆さて、もうひとつ、スピルバーグ映画の彩る特色に主人公が、少し「ヘン」で、いくらか「屈折」していようとも、映画に登場する皆に愛されるというところがあります。(これは、もうちょっとだけお~きく見れば、アメリカという国そのものが他の国にたいしてパプリックイメージとして、もっているような特色なのかもしれませんが―)

◆日常の基準からいえば―すこし変わっていて、すこし奇妙なキャラクター(たとえば「E・T」や「グレムリン」)が登場しますが、これらのキャラはやがてみんなに愛されるようになります。ファンタジーのみならず、リアリティや史実を撮った映画の中でもこの傾向が多分に含まれていて、この「キャッチ ミー―」の中でも顕著だと思います。たしかに主人公のフランクは「詐欺師」ですが、とても魅力的な、とくに女性を魅了する力にめぐまれた詐欺師であって、愛をもとめて、さまよいます。

◆愛すること、愛されること―はスピルバーグ映画に欠かせない大切なモチーフです。そしてこの「愛」の中にスピルバーグのもつ少年の母への愛、母性への崇拝のようなものが見え隠れし、スピルバーグ自身を中性的で宇宙的な色彩を塗りこめるのではないか―と思わされます。
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★物語のあらすじ
◆それでは、この「物語のあらすじ」を概念的な整理によって、すこし細やかになぞってみましょう。

◆主要登場人物は主人公フランクJR、父フランク、母、それからFBIの小切手詐欺班の捜査官カール、そして結婚を誓った看護婦女子ブレンダの5人です。あんま―つぅ~か、ぜんぜん、友達いないんですよね、彼ったら☆

◆以下、「キャッチミーイフユーキャン」のあらすじ☆

◆主人公のフランクJR(デカプリオ)は豊かな家庭で両親と愛に恵まれた生活をしていました。

◆ところが、ある日父のフランクに脱税容疑をかけられ、銀行からの融資がとどこおり、貧しくなってしまった一家は家と学校をレベルの低いところへと変えなければならなくなります。つまり、一家は転落してしまうのです。このとき、父フランクからフランクJRとして、社会に対する反抗心と小切手の切り方を吹き込まれます。転校先の学校でフランクJRはまんまと、フランス語の教師に変装して、天才詐欺師の才能の片鱗をあらわします。

◆やがて両親は離婚してしまいます。
父と母が大好きだったフランクJRは心に深い傷をかかえます。

◆そののち、家出したフランクJRはパイロットになりすまして、アメリカ大陸を飛び回り、巧みに女の子にとりいって、情報をひきだし、偽造の小切手を切りまくります。なんとか、父と母の関係を取り結びたいフランクJRの少年っぽい情熱が描かれ、父と会った際にキャデラックをプレゼントすると言います。

◆しかし、フランクJRの切りまくっていた偽造小切手に足がつかないはずもなく、しばらくのちにFBIの小切手詐欺班であるカール(トム・ハンクス)の捜査の手がのびます。

◆偶然から、カールに滞在するホテルの部屋に迫られたフランクJRですが、シークレットサービスになりすまして、間一髪、その場をやりすごします。それから、2人のあいだには追うものと追われるものをめぐる奇妙な関係が生まれ、X’MASの夜にフランクJR自らTELをして、カールにその孤独を指摘されます。フランクJRという男の、詐欺師としての才気とまだあどけなさを感じさせる少年っぽい孤独の板ばさみで苦悩する様子が映し出されます。

◆さて、それから、病院へまた「自らの魅力という詐術」によってもぐりこみ、緊急病練の主任となったフランクJRですが、ここで看護婦の女子ブレンダを誘惑し、結婚することになります。

◆そのうえ、この看護婦女子ブレンダの父が検事をやっていたことから、検事試験を受け、検事の仕事につこうとします。順調ななりゆきに意気揚々、「過去のあるべき状態」を取り戻せると期待に胸をふくらませ、父フランクとのレストランでの再会を果たしたフランクJR。

◆でも、そこで父から明かされたことは「過去のあるべき状態」がもはや取り戻せないということ―つまり、すでに母が父の親友の男と結婚してしまっており、フランクJRがFBIに追われていることが父にもう知られているという事実でした。(ここで物語は終わり、あとはエピローグのようなものです)

◆ここから、フランクJRの逃亡劇は雪崩をうったかのような、「理想の喪失」、すなわち「さまよい」へと堕します。

◆結婚パーティーでFBIに踏み込まれ、なんとか逃げおおせたものの、結局、愛を誓った婚約者ブレンダに裏切られ、みずからのパロディのように、パイロット偽装をして逃亡します。そして、母のふるさとである逃亡先のフランスの小さな町「モンリシャール」で偽札づくりにいそしみます。ある「X’MAS」の夜、偽札工場にカールに踏み込まれたフランクJRは、今度はまんまとカールにだまされて、逮捕されてしまいます。

◆カールに連行されたフランクJRは飛行機の中で父フランクの死を告げられ、飛行機のトイレから逃亡して、母の家の前で家族への愛をもとめているところを、また逮捕され、禁固12年の罪で投獄されることになりました。

◆―が、しかし、FBIにその小切手偽装を見抜く知力を買われたフランクはカールとともにFBIで働くことになります。カールは追跡者から保護者に、フランクは逃亡者からやり手識別者になり、現在の状況を表示するテロップがあらわれます。

◆「現在、フランクJRは結婚26年目で、息子が3人、中西部で平和に暮らしながら、FBIに協力、国際手配をうけた悪質な偽造犯の逮捕に貢献、銀行詐欺と偽造の摘発の権威とされている」
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★たとえいくら願ったとしても、たとえどうあがいたとしても、「過去のあるべき状態」はとりもどすことがけして、できないということ―愛と理想の喪失のほろ苦い物語―それをアメリカ人はもっと嘆いたっていいと思う☆
◆上のあらすじで見たように、言葉に直してみると、この物語のもっとも重要な点はフランクJRの詐欺行為のモチベーション(動機づけ)が、両親の離婚にあり、彼が犯した犯罪行為はかつての「幸福な家族」という理想を追求することにあったところです。そしてそのあいだだけ、彼の詐術の「純粋さ」はわたしたち観客に約束されていました。

◆「その1」で書いたことと少し重複するのですが、このことを踏まえてみると、フランクJRの行動は、一見した華々しさとは裏腹に、過去の黄金時代をとりもどそうとする「あがき」のように見えなくもありません。したがって、この映画は基本的に「ノスタルジー」の映画であり、それは二重の意味でノスタルジーです。まず、1960年代というこの物語の時代背景としてのノスタルジー、それから主人公が幼かった頃の黄金時代の生活、「過去のあるべき状態」へのノスタルジー。そして、くり返しですが、物語中でこういったノスタルジーはけして取り戻されません。

◆だから、この映画は愛と理想を喪失した主人公フランクJRがその回復をもとめて、自らの魅力によって、社会をあざむく姿を描いた映画であって、けっきょくそれは母の再婚、父の死によって喪失されて、取り戻すことはできなかったという若さの挫折を暗示しています。ゆえに、この映画から導き出されるテーマは以下のようなものです。(おそらくこれは現在、普通のアメリカ人、あるいはアメリカにべったりひっつく日本人の多数が心の中でもつ実感ではないでしょうか?)

「いくら願っても、どうあがいても、わたしたちは過去の黄金時代を取り戻すことはできない」

◆それでも、映画はいかにもアメリカ的な解決によって、FBIに回収されたフランクJRを描いたため、もう一歩踏み込んだ姿勢でこのテーマそのものを提示することなく、あやふやで、あまり実感のなく、口当たりのよい、社会性のあるものへとかえてしまっています。それがこの映画の残念なところ、スピルバーグファンタジーなのかなぁ~と個人的に思いました。

◆もし、スピルバーグにもうすこし人間そのものを描く視点があるのだとしたら、ぜひこのテーマを発展させて、もうすこし淡々とした日常の中で、子供っぽいファンタジーをまじえず、モノの消費によって解消させずに、アメリカ人として、この心の機微を描いてくれたら―と、思います。(小津、ヴェンダース的願いですけれども、ね)まぁ スピルバーグに期待するのも難しいかとは思うんですが-一ファンとして、老成して、成熟した世界帝国「アメリカ」のひとりの名匠として、大人な部分だって見てみたいと期待するぐらいはいいでしょ―(笑)勝手な願いかしら。それって☆

◆やや厳しく言えば、テーマそれ自体は明確であるにもかかわらず、今一歩、このテーマそれ自体への追求を欠き、表象と社会レベルにそのベクトルを還元し、解消させることによって、物語を終わらせたという意味で、この物語はその口当たりのよさ、爽やかさとは逆に「テーマの消化不良」ではないでしょうか?それとも「モノ」と「金」と「ジェットコースター的快楽」というアメリカの消費精神による弊害?はたまた、アメリカ的な消費社会にどっぷりのわたしたちにはこれでいいのかしらん―

◆以上―アメリカは消費を減らして、もっとたっぷりと嘆いたっていいんじゃないだろうか―と、個人的には、この映画を見て、思いました☆
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A.I

A.I.
2001/米
監督/スティーヴン・スピルバーグ
出演/ハーレイ・ジョエル・オスメント
    ジュード・ロウ
    フランシス・オコナー他

 
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ブレードランナーで呈示された有機体とアンドロイド(人造物としての人間)との禁じられた恋は、日本だとエヴァンゲリオンの綾波にその影が投影されているが、ハリウッドの巨匠がそういったテーマに踏み込んだというところにこの作品の意義があるのだろうか。

◆ここでは成熟した大人としてではなく、子供として、しかも人間からの愛ではなく、アンドロイドからの愛という倒錯した視点から、アンドロイドに感情移入するように描いたという点で、人間という種を見つめる巨視的な視座の位相があるよう―。

◆もともとキューブリックが脚本を選び、監督をするはずだったということで、そういった視座自体が、巨大な観察者としてのキューブリックを暗示している。もっとも映画の味付けはグッと大衆的なスピルバーグのそれではだが、現在的な良質なファンタジーのヴィジョンとして、映像的に非常に秀逸。

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◆脇役の機械仕掛けのクマちゃんのぬいぐるみや壊れたジャンク機械群、へヴィーメタルな演出も清水アリカのノイズシンフォニーや暴力温泉芸者の中原のジャンクな感覚を色濃く漂わせるキッチュさであって、日本の同時代を自称する作家の感覚とも共通していて、ジャストコンテンポラリー。

◆ジュード ロウ演じる女たらしの色男は、鮮烈にNYのクラブシーンにいるであろうアングラでPOPな香りを濃密に漂わせていて、一時期のJYUNYA WATANABEのショーに登場でもしそうな趣で愉しい。
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◆それからAKIRA的な廃墟のヴィジョン、ディズニーのパロディ、氷河期にうずもれた高層ビル群、宇宙人まで登場するに至っては、未来のイメージの負の部分が余すところなく、映像化されていて、ある意味で非常に贅沢だと思わされてしまった。「母に対する純粋な愛」というスピルバーグ的な主題も追求され、キューブリック的なものとスピルバーグ的なものが丁度分量よく交じり合っているように思われた。
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◆もっともロボットをめぐる整合性にはやや欠ける印象。納得のゆかない場面も多々あるのだが、これはファンタジーとして楽しんだ。
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◆アンダーグラウンドに渦巻いているであろうと思わされる感性がこうも豪華に映画化されるものなのかと、スピルバーグの手腕にはじめて驚かされた一作。
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