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つれづれひびのこと―でもいつかは原始人―

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ちろん、ボクが生まれた郊外は陸のうえだった。

電車は陸を走り、山をわけ、丘をこえ、太陽を浴びていたし、窓からは季節ごとに色をかえる「みどり」が見えた。家のそばで、地下といえば、ずっと大昔の遺跡の跡ぐらいなもので、母に「むかし、むかし、ここには原始人がすんでいたのよ」といわれた。それからしばらく地下に住むのは原始人だと思いつづけた。

いま、どうしてこうして、地下鉄生活になった。
日々、地下とアクセスし、地中にアケラレタ「うとうと」とした穴を、毎日、右へ左へ行き来しながら生きている。轟音をとどろかせながら、めまぐるしく走る地下鉄に乗りながら、あと何万年かのち、母が言ったようなことを未来人の誰かがいうだろうか?-と、ふとしたまどろみに、思った。

「むかし、むかし、ここに原始人がいたのよ―」

「―その人たちはね、とても進んだ文明をもって、人々は人口過密のせまくるしい部屋にすみ、いろいろ目標を定め、日々、切磋琢磨、イメージに活気づけられては踊り、アクセク働いて、道をつくり、地下を掘り、空を駆け、夜と闇を照らす社会をきずいていたの、でも、そのわりには、あんまり自分たちがなにをやっているのかってことには興味がなかったみたいで、そのうち真綿で首をしめるように、じわじわと首が絞まってきた。頭がよすぎて、生きることを楽しみすぎ、ゴミをだしすぎ、長生きしすぎちゃったみたい。で―滅んじゃって、いま、この穴だけが残っているのよ」
なんて―

いまはいいけれども、ずっと長い眼でみれば、地下鉄の穴なんて、大部分は埋もれてしまうに違いないなぁ~・・・。

―と、そんなことを考えながら、地下鉄に乗っております。毎日、毎日。

いまは現代人、でもいつかは原始人。

時の流れはそんなもので、だれだってはじめから原始人なんじゃなかったし、オレは原始人だなんてことは思っていなかった。だれひとりとして―
ただただ、その時々を生きていて、それがすこしづつ呼び名をかえてゆく。
時って、ただただ、そんなものなんだろうなぁ~―なんて思うと、すこしづつ、みながみな、原始人のようにも見えてきてしまう。

時それじしんが瞬く音がきこえる。
瞬間、あわてて、瞬きし返す。

時―それはやっぱりとらえがたく、ふわふわしたものだと思う。

「むかし、むかし、ここに・・・・・・・」
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