博士の異常な愛情―



博士の異常な愛情

ピーター・セラーズ / / ソニー・ピクチャーズエンタテインメント



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◆キューブリック―風刺の系譜 
 現代社会に<風刺の鏡>をあてる系譜というものが―とくに、英国には色濃くあると思う。

 この映画の監督「S・キューブリック」しかり、作家の「G・オーエル」しかり、「O・ハクスレー」しかり、「J・G バラード」しかり、「W・ギブスン」しかり(正確にはアメリカ人だが、ヴィクトリアン趣味で「CYBER PUNK」ということで―)、「イアン・ワトスン」しかり、「パンクロック」しかり、「エイフェックス ツイン」しかり、ノーベル賞作家の「ゴールディング」しかり、古くは「スウィフト」しかり、―彼らは現代社会の不安や心配を極端な方向へと推し進めることによって、逆反射する「異常な風景」をブラックな笑いに変えてしまう―警句や皮肉の作家の系譜。

 そうして、そうやってショッキングなものをぶつけることによって、わたしたちの日常の風景を警告し、人間中心主義や全体主義化する社会を告発する。
 この作品もそういったアングロサクソン的ブラックユーモアの一本に数えられるものではないだろうか?―
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◆物語
舞台は冷戦構造下のアメリカ。
ソ連の最終兵器である「皆殺しマシーン」(地球上の生物を残らず死滅させるマシーン)が完成しつつあるという噂が西側の高級官僚に流れる。
―と、ある基地で働くマンドレーク大佐にリッパー大佐から緊急動員のTELがかかり、「戦争がはじまるから、<R作戦>の実施を「航空部隊」に送信しろ」という指令がくだる。この「航空部隊」は二次大戦で使用された16倍もの50メガトンの核兵器を搭載しており、指令を受けて、<R作戦>が実行される。
基地には警戒態勢がしかれ、以下の守則が発令される。
「1、何人も信用するな」
「2、200メートル以内に近づく人間及び物体には直ちに発砲せよ」
「3、疑わしいときはまず攻撃すべし」
突然の<R作戦>指令の発令に不条理を感じたマンドレーク大佐は攻撃停止を進言するが、リッパー大佐に取り合ってもらえない。リッパー大佐がもっている「暗号」のみが、作戦を中止することができるらしい。そしてリッパー大佐から「政治家への不信感」が告げられる。

各国代表の大統領会議が開かれる。
<R作戦>の実施とそれがリッパー将軍の越権行為であったことが、アメリカ大統領に報告される。大統領は平和的解決を望み、画策するが、軍部は協力的ではない。会議にソ連の代表者が来て、大統領は電話でソ連側に「爆撃ポイント」、「攻撃地点」、「装備」、「航路」を教え、撃墜を要請するが、ソ連側は「皆殺しマシーン」での反撃の可能性を示唆する。
大統領はドイツ人で車椅子に乗った博士「異常な愛情博士(DR STRANGER LOVE)」(タイトルの邦題は少しおかしい―)に「皆殺しマシーン」の説明を求める。博士によると、「皆殺しマシーンは自動装置で反応し、放射能半減期が93年かかるという皆殺しの衣、<コバルト ソリウム G>をまき散らし、軍拡競争や平和競争よりも経済的で安上がり」だという。さらに―

「抑止力とは我々に襲うことを恐れさせる技術だ、ですからその爆発を完全に機械に任せれば、人間的な失敗は排除される、「皆殺しマシーン」のおそるべき点はその簡単さ、完全に非常な正確さにあります

―と、生物の未来が機械に託されていることを示唆する。

一方、<R作戦>を指示したリッパー大佐は銃撃戦にまきこまれ、応戦した後に銃で自殺する。このことによって暗号は失われる。

<R作戦>の指令を受けて、爆撃目標へと向かう飛行機のうち、一機が敵のミサイルに命中。
なんとか一命は取り留めたものの高度を下げての、低い位置で目標を目指すことになる。このことによって悲劇的な結末がもたらされる。

大統領はなんとか手を尽くして<R作戦>の指令を解除。
退却命令が下され、爆撃機は続々退却し、基地は歓声に満たされるが、前述の一機のみが帰らない。この一機が燃料切れに悩まされ、悪戦苦闘しながらも、なんとか「核投下」―

すべてがおわったことを知った大統領は「鉱山」か、「炭鉱」へと隠れること、男女の配分を増やして「ハーレム」をつくること―などが提案される。「異常な愛情博士(DR STRANGE LOVE)がいきなり立ち上がり、ナチスのプロパガンダの「総督 あ 歩けます!」の美談のパロディで終わる。

水爆の美しい爆発の連続。

「また 会いましょう どこかも知らず いつかもわからないけれど きっと また 会えるでしょう いつか ある晴れた日に」

―のPOPソングが流れて、太陽が映し出される。
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◆機械じかけのキューブリック
 本作(1964)と「2001年 宇宙の旅」(1968)と「時計仕掛けのオレンジ」(1971)の3本のキューブリックはテクノロジーと人間の関係性という同一のテーマを扱っているように思う。そして、おそらく本人は意識的にこのテーマを繰り返し、角度を変えて撮って見せている。
 このテーマに同時代の作家として、ファッショナブルで毒をきかせた主張と素晴らしい才能をもって、もっとも深く、もっとも面白く、そしてもっとも鋭く踏み込んで見せた作家というのは、キューブリック、その人だったのではないだろうか?
 
 そのテクノロジー観は本作と「時計仕掛け―」では明るいものではない。むしろそれに対する根強い不信感を背景としたものであって、G・オーエルの「1984」やO・ハクスリー「素晴らしい新世界」と同様にテクノロジー社会への警鐘を鳴らすものだろう。「2001年―」は最終的には暴走したテクノロジーの生む新生態(チャイルド☆)への期待といったトーンに彩られているが、ここでも機械の描かれ方は親しい友人というよりは信頼の置けない他者として描かれている。そして本作で描かれているのは博士の台詞にもあるように、「爆発を完全に機械まかせ」にした人間社会にもたらされる悲劇的な結末のブラックコメディーだ。

 おそらくキューブリックはテクノロジーを信じていなかっただろう。
 ただ、それを利用しただけだ。

◆冷戦構造下という狂気
 本作で皮肉られているのは、冷戦構造下で「核保有量」の競争に血道を上げた両大国の姿だ。地球を何度も破壊できるほどの、核を競って製造した「人類の愚かさ」がドイツを介して皮肉られている。一触即発の危機の中、ボタンによって、機械によって、人類のみならず生物すべてが「皆殺し」にあうというのは、現代からかえりみても、まったく狂っている。状況自体が正気の沙汰とは思えず、逆にいえば、こういった狂気を人間という「種」が一時代としてもったということ、つまり「冷戦構造下」という馬鹿げた時代のイコンとして―記憶に残るものだろう。
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◆テクノロジーの位相をめぐる差異
 キューブリック映画において、テクノロジーは上位構造的なものとして、下位を支配するように描かれる。権力と結びついたテクノロジーが全てを支配するという、ひとつのスーパーコンピューター的中心主義で、テクノロジーが増殖せず、運命と決定権を委ねられた神のように抜きん出た存在である。現代社会において、どうしようもなくキューブリックのヴィジョンが古めかしいものに見えるのは、こういった一元的なテクノロジー統一の位相ゆえだろう。現代で増殖して、拡散し、下位レベル化したもの、下位構造化したものが、当時は上位として描かれていた。現代の映画のもっとも刺激的なものは下位からのテクノロジー構造の言い換えだが、古い映画と対比して、見てみると、よりテクノロジー位相をめぐる差異が見られて面白いかもしれない。

◆アニメ
 「AKIRA」の大友克洋の描写とも相通ずるような描写の細やかさが印象的。手塚治虫がキューブリックの製作チームに勧誘された話しは有名だけれども、大友はキューブリックを介して、手塚の後継者を意図したように思う。
 その意味で例えば大友が関わったアニメ「メトロポリス」のラストシーンなどにこの映画の色濃い影響が見られる。

◆水爆シーンの美しさ
 被爆国の人間としてこんなことをいうのは不謹慎かもしれないが、ラストの水爆シーンは美しい。巨大な破壊の炎が美しいと思うのは、科学のエレガントなモデルが美しく、ファッションの新しいモデルが美しいように、テクノロジーと自然の「不遜な美」を示しているよう―

◆DR STRANGELOVE
 主人公の博士はドイツ人であり、それが世界を滅ぼしてみせるという意味でこの映画はヒトラー総督の夢を具現化したものとしても考えられるかもしれない。「異常な愛情」というのは「総督への異常な愛情」ではないか?―と深読みしてみたい誘惑にかられる。ラスト間際のシーンでのナチスの美談のパロディはシニカルな笑いをもたらすもの。
 つまり―ブラックだ。
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 まったく、とっても皮肉な映画だ―と思う。
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