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カリスマ

 これもまた、脈絡のない言葉が続く映画で、こういった脈略のない言葉に耐えられるか、耐えられないか、でこの監督に対する評価が決まると思う。
題名の「カリスマ」とは一本の怪物的な木のことで、この木をめぐる利他的と利己的な関係、全体と個の問題、研究者姉妹と地元グループと廃病院の一派の争奪戦が語られ、結局木は焼かれてしまうのだけれども、これがどこまでほんとうの問題なのか、というのは微妙なところ。作中で「これはどういう意味なのか?」という風に意味が問われるのだけれども、作品の根本、あるいは時代の根本に意味がないので、こういった意味への問いそのものがほとんど、意味をなしてないように思う。音楽と映像はあいかわらずというか、黒澤の持ち味というか、まったく調和なくアンバランスで、深刻な場面ほど優雅で幸福な調子の曲が流れる。

◆ゴダール・黒澤
 ゴダールの映画と黒澤の映画が通底するのは断片的で脈略のない美しい映像がつながる、ニュアンスの空想劇だというところ。この意味で黒澤がフランスで評価されるのは理解される。ある意味ではゴダール・黒澤といったラインができるだろうから。黒澤はフランス文学でいうところのアンチロマン一派に近い表現スタンスだと思う。その意味で暴力温泉芸者の中原昌也に近い。そしてかろうじてストーリーを保たせることによって、かろうじてエンターテイメントたりえているその綱渡り的平均感覚がよい。

◆全体と個
 この映画で微妙に踏み込んで見せた全体と個の問題は興味深かった。全体性というものと個というのは生物学がさかんに考察してみせたことだし、R・ドーキンスあたりが得意がってやる領域だろうが、やや考察という意味では物足りない印象だった。
他の映画で掘り下げて見せてくれるか、というのは期待してしまう。

◆暴力
 暴力の描き方がどの映画にしても非常に現代的で、現代の暴力というのはこういったものか、と思わされてしまう。宮沢章夫の「サーチエンジンシステムクラッシュ」や鶴見済の「完全自殺マニュアル」にも通底するような乾いた工学操作としての暴力で、人間はいつもモノとして扱われる。この暴力の描き方が妙にリアリティをもっているのは、不気味な事実だ。

◆不条理
 カフカの不条理性とはちがう、日常の曖昧な不条理性。そしてどこが不条理なのか、わからないような日常を描きながらも、逸れてゆく不条理性という意味で黒澤の不条理性は独特で興味深い。

それはわたしたちの生そのものの不条理な位相を明示しているのではないだろうか。

☆キノコ食べまくって狂っているシーンが笑えた☆
by tomozumi0032 | 2007-01-15 02:05 | 黒澤 清
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