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ダブ平&ニューシャネル☆

ダブ平&ニューシャネル☆ 
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☆ぷろろ~ぐ
 東京都現代美術館でひらかれていた大竹伸朗(おおたけしんろう)の「全景」展へいってきました。
 
 とちゅう木場公園をとおったさいにメタリックな寒空にもえる紅葉がきれいで、とくに銀杏のマットな質感が風景にとけいり、しとやかな秋を肌身で体験しました。

 それで、銀杏というのが、あんなに綺麗な植物だってことをこの時、うまれて、はじめてしりました。
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 銀杏の葉のぬれたような、つるりとした質感はただのあたたかいという表現をこばんでいて、たしかに色彩は暖色なのでほんわかするんだけれどもあの質感がプラスされるとなんだか暖かさと冷たさが相殺されているような感じがしました。しばらくぼんやり銀杏をみつめているとおおきな質感とぬめらかな色の中に跳び込んだみたいで、ああ なんでこの銀杏ってやつはこうなんだろう・・・どうしておまえは銀杏なんだ・・・すごいやつ いちょう!、となんだかほわほわしてきて、広大すぎる無意識の大迷宮にひきずりこまれそうになったので、あわてて足を美術館のほうへ向けることにしました。

 つくと、入り口で大竹 伸朗氏らしき男が煙草を吸っていて「あれれぇ~」と思いました。
「ほんものかなぁ~さいきんはそっくりさんも多いみたいだし、それに、なんでもすぐにどんどん増殖しちゃう―こんな「うんちつんつくん」で「贅沢はステキ」で「鬼畜欧米」な世の中だから―どうせほんものじゃないだっちゃ・・・そうだ そうにちがいないっちゃ・・・でも・・・う~ん・・・」―な~んて思いながら見ていましたが、どうみても、今月号のART ITの表紙と同じ立ち姿です。めだまを20CMぐらい前方におし出してみていますと、どうやら本物みたいです。でもぼくは男なので、男どうしとして「いきなりサインくださいはなぁ~やっぱなぁ」と思って、フェイントをかけることにして、一度なにげなく通りすぎたあとで、もういちどなにげなく回り込んで、なんとか写真を取らしてもらいましたが、やっぱりサインは頼めませんでした。
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☆のいず23?
 大竹氏は1956年うまれってことで、今年で50歳なようですが、それにしては若い。23にみえてしまいます。ライブハウスでギターから轟音を流していてもおかしくない感じがしましたし、瞳をのぞきこむと、そのなかに少年のお猿がモンキーダンスを踊っていました。しかもそれは一匹ではありません。無数の猿の軍団です。そんなところが―さっすがぁ~と思わされました。
 さらに、むかし、けっこうファンだったボアダムスのヤマタカEYEと「JUKE/17」っていう宇宙パンクを組んでいたようで、これも―さっすがぁ~と思わされました。
 ちなみに未聴なんですけれども・・・。

 都築響一の説明は以下―

 「屋台のオモチャ屋で買った、お子さま楽器を大のオトナがいじくると、オトナのふりをした子供がスタジオっていうオトナの場所で遊ぶと、こういう音楽ができるのか。いいかげんでありつづけようとする意志のチカラ。宇和島のアトリエで、ドレッドのヤマタカ君とスキンヘッドの大竹君が、汗だくになりながら30分近く音を出しまくっていた。やっと曲が終わったのか(その終わりはふたりにしかわからないタイミングなのだが)、楽器(のようなもの)を床において、ヤマタカ君がカセットレコーダーのストップボタンを押し、音をチェックする―「あれっ 入ってませんでした!」。いい年して、いまだにこういうことやってるおっさんにはかなわないな、とぼくはそのとき深く納得した」

 ぎぎぎぎ のいず23?☆
 
 ががががが?
 れっ れれれ?
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☆「全景」てんのせつめい
 大竹氏のせつめいを簡単にしてみます。
 まずはこちらを見てみてください。
 ゴミやガラクタを使ったジャンクな作品でしられています。
 これは蛇足ですが、このあいだ紹介したウィリアムバロウズも、せかいの坂本ことサカモトキョージュも熱烈にファンのようです。

 さて次は、こんかいの展覧会のせつめいです。
 以下はフライヤーから引用をしてみます。

 「日本の現代美術の尖端で常に躍進を続けてきた画家、大竹伸朗のはじめての大回顧展が開催されます。目に映る世界をすべて題材として、質・量ともに卓越した絵画を生み出し続けるとともに、写真・本・印刷物・音など、あらゆる手段を取り込んで、多彩な活動を展開してきた大竹伸朗。常に世代やジャンルを超える熱い指示を得ながらも、その活動の量と幅広さを受け入れられる場が存在しなかったために、彼の想像の全貌は、いまだ謎に包まれてきました。30年間にわたり制作され続けてきた「スクラップブック」全64冊をはじめて一挙公開するほか、少年時代のスケッチから「網膜」シリーズ、<ダブ平&ニューシャネル>、「日本景」、おなじみ「ジャリおじさん」、さらには本展のために制作されたパワフルな新作まで―毎日休むことなく描き続けた時間の蓄積から、選りすぐった約2000点の作品群で企画展示室全フロアを埋め尽くし、大竹伸朗の「全景」を展開します。」

☆リサイクル―再生産―の表現
 ところで―どうでしょうか?
 ゴミやガラクタというのは本当に現代社会においてゴミやガラクタだと言い切れるのでしょうか?ゴミをゴミだとして片付けたり、ガラクタをガラクタとして片付けてしまえるのでしょうか?
 ほんとうにそうでしょうか?

 例えばファッションを見ているとそういい切れないことがわかります。現代ファッションがやっていることはほとんどが過去の焼き直しだからです。正直いって、あまり前に進んでいるようにはみえません。ぎゃくに周期的にまわっているのは60年代だったり70年代だったり80年代だったりする時代のさまざまな要素であって、それらがブランド名のもとにアレンジメントされて、解釈されているように見えてしまいます。

 それからPOPカルチャーをみていてもおおよそ60・70・80年代の焼き直しを、キャッチーだったりわかりやすくだったり親しみやすくだったりしている以上に踏み込んで新しいことというのを提示できていはしないのではないでしょうか?プライマルスクリームやオアシス、ラディオヘッドにしてもアンダーワールドにしてもコーネリアスにしても、レイブパーティやトランステクノにしても、どこかしら慨視感というものが付きまとってしまうのはどうしてなのでしょうか?

 ちょっとおおげさに、「現代社会は一方的な歴史というものをどこかで拒否している」―と、いいたくなってしまいます。あるいはこのあいだの日記のように「時間はひとつではな~い!」―と、いいきってしまいたくなります。つまり―現代社会は生産するのではなくて、使い古された記号やデザイン要素の組み合わせしなおすことによって再生産することによって、ことばをかえれば、ゴミの記号やガラクタのデザイン要素を組み合わせることによって、多元的に構造を組み替えて新しいものをつくりだしているようです。すなわち、現代のように生産過剰な社会では「ゴミ」と「新しいもの」との垣根が非常に低いのだ、といえると思います。
「ゴミ」や「ガラクタ」はアレンジメント次第ではアートになり、あるいはPOPカルチャーになり、デザインになるのです。

 付け加えれば、こういったことは学術の世界では案外古くから行われていたようです。
フロイトは夢や錯誤行為といった取るに足りないこと、それまでどうでもいいと思われていたこと、意識の「ゴミ」や「ガラクタ」からはじめて、「無意識」というものを発見してわたしたちの知覚を拡大させたことは有名な話ですし、そこからシュールレアリズムという芸術運動が生まれたこともよく知られています。フロイトがもしこういった「ゴミ」や「ガラクタ」に着目することがなければ、もちろんシュールレアリズムは生まれなかっただろうし、ブルドンくんもダリくんもマグリッドくんもベルメールくんも瀧口くんも登場せず、現代社会は大きく違った様相を呈していたであろうことは想像にかたくありません。

 あるいは構造主義という西洋近代を痛烈に批判した思想を提唱したレヴィストロースが「「歴史学」「考古学」「文献学」が捨てて顧みない種々の「断片」、「残骸」」、「好奇心旺盛な人々は、いわば屑でも拾うように、他の学問が蔑んで知の屑篭にほうり捨てた知の切れ端、問題の断片、眼を愉しませる細部を拾い集めようとした」といっていることは示唆的だと思います。つまり構造主義という学問もゴミの中から生まれてきたわけです。

 これはもちろん自戒もこもっているのですが、どうしてもわたしたちはピカピカした新しいもの、生産や消費物に目をむけがちなものです。大竹にしても、現代美術館という場でやっているから注目したということになってしまいがちなのですが、本当に時代を予見しているのは、こういったゴミの部分に着眼し、そういったものを丹念に拾い集め、蒐集し、構築し、社会に提示している人たちなのだと思います。作家でも、たとえば―W・バロウズでもJ・G バラードでもW・ギブスンでもT・ピンチョンでもそうですが、ゴミと格闘している人々がこそ社会の未来をつくるように思えてなりません。くわえて環境問題という大きな問題もあります。この世界社会体は物的生産の過剰によるエネルギー過剰のエントロピーに悩まされています。

 生産ではなく、再生産の美学が緊急のものとして必要とされているのです。

 芸術がリサイクルされてなにがわるいのでしょうか?

☆お・お・た・け・し
 さて―はなしを本題にもどしてみます。
 上記の引用にみましたように、この展覧会は大竹氏の「全景」―全生涯、歴史―が詰め込まれていて、彼の人生そのものが、作品によって表現されています。マンガ少年だった小学生時代、北海道の牧場にころがりこんだ時の絵、ロンドン、香港、東京、ナイロビ、メンフィス、ロサンジェルス、アメリカ、モロッコ、宇和島―といった場所の変化がそのまま表現されています。大竹氏はずっと絵を描き続けていて、その集大成を「スクラップブック」だと述べていますが、場所的変転の目まぐるしさも含めて、確かにこれまでの彼の半生はスクラップ的な印象が強くします。スクラップ的というのはどういうことかいえば、カットアップ的、情報のコラージュ、編集的だということです。この展覧会を見る限りではひとつのなにか、それだけに熱心にとりくんだ作家ということではなくて、様々なゴミやガラクタになった情報を情熱をもって、丹念に蒐集し、切れ切れの断片的な世界を再編集、再構築したものだといえるのではないでしょうか。ぼくの記憶ではいくつかの作品はドイツのキーファーと相通ずるものがあったようにも感じましたが、それらはキーファーのような一貫性に支えられているわけではありません。非常に多くの手法、多くの題材、多くの素材の複雑のフラクタルな混合であって、ひとつの主張というよりは、おおくの主張をそのつど世界を引きちぎってはつくり、引きちぎってはくつくるといった作業を繰り返しているような印象で、静物的でスタティックな形態構築というよりは、むしろゴミやガラクタに内在するフラクタルの中の形態をチカラ技で構築するという筋力的な形態構築のチカラに圧倒されます。ゴミという素材を再生産させながら、それらはスタティックな自閉と鬱を併発しがちな現代社会を吹き飛ばすような―萌えいずる生命のチカラに貫かれています。個人的にいえば、重い感じのするものはあまり好きではなく、どちらかといえば軽い色彩のPOPなものが好みですが、このさい、そんなことはどうでもよくなってしまうようなエネルギーの充満具合。とにかくこの創造力は超ド級で、なにより微妙な軽さと笑いの感覚がいいと思う。これだけのものが詰め込まれると逆にどうしても圧迫的な印象は残しがちなんだけど、微妙にそれらを軽くする心意気がいいと思いました。おそらく彼のぴょんぴょんと飛び跳ねるような場所的変転やセンスが、すべての作品に通底する彼を中和して、多様なものに、そしてユーモラスなものとしているように思います。最後に彼の傾向はとかく「風景」やキャラクター、質感、無意識、世界細胞のミクロコスモスとマクロコスモスであって、都築 響一同様に「風景」を表現に閉じ込める人なんだなぁという印象をうけました。

 う・・・う~ん おんなのこは好きじゃないのかしらん(笑)

☆ダブ平&ニューシャネル
 そんなこんないろいろ思いをめぐらしているうちに、情報の量の多さにふらふらになってしまいました。それでやっとこさっとこ地下2階にある、この記述のタイトルでもある「ダブ平&ニューシャネル」にたどり着きました。
 「ダブ平&ニューシャネル」というのは氏が43歳のときの作品で「ダブ平」「エイジ」「ボブ」「アダム」の4人メンバーからなる機械仕掛けの遠隔演奏ノイズバンドのことで、これはライブハウスのギターやドラム部分を切り取った見世物小屋風情でした。キャバレーのような照明に後ろには台座が二列めぐらされ、ぬいぐるみやキッチュな置物、天井からは郵便の送り状のようなものがおびただしく垂れ下がっています。なんとなくAKIRA5巻の大覚様とロックバンドのシーンをおもいだしてしまうような感じでしたが、AKIRAに較べるともうちょっと昭和ロマンスが入っており、メランコリック。表現ベクトルとしては情報の集積という意味でもAKIRAの大友のイメージと氏のイメージは重なり合います、おなじ世代かしら・・・―その脇の掘っ立て小屋のようなところに入り、大竹氏がギターを片手に演奏していて、ダブ平をはじめとした楽器(さん?)群が「びぎょ~ん!!ばぎょ~ん!ががががが~!」と音をたてていました。周囲にはいかにもバッグを垂らして口を右斜め上方に吊り上げて「ヤッテランネ~!ダ~イ(DIE)!」と早口で連呼しそうな男子女子が首を小刻みにチキンのように上下運動させています。どうやら「遠隔演奏」ということで大竹氏が操作すると、ステージの楽器が音を奏でるようです。もうちょっとノリノリになるのかなぁ~と思ってみていましたが、男子女子もいまいち大人しくて、首をつかんで振り回しあったり、中指を突き立ててみたり、固く握り締めた怒りの拳を突き上げたりする怒れる若者風情はあまりありませんでした。もっともあれはちょっとした余興ていどのものでしょうけれども―。
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by tomozumi0032 | 2006-11-26 08:04 | 展覧会評
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