人気ブログランキング | 話題のタグを見る

筆洗 東京新聞 2006 11 3

 日本中の大学に紛争の嵐が吹き荒れた一九六〇年代末、全学封鎖された京都の立命館大学で「夜おそくまで蛍光のともる」一室があった。内ゲバを警戒して校庭に陣取る学生たちも、そのたった一つの窓明かりが気になってならない▼

作家・高橋和巳が『わが解体』の中で記した「無言の、しかし確かに存在する学問の威厳」。その教授が団交の席につけば、一瞬、雰囲気が変わった。白川静著『孔子伝』(中公文庫)の解説で、中国文学者の加地伸行さんが紹介するエピソードだ▼

そのころ、白川さんは中国古代社会の実証研究をもとに、父も不明の巫女(ふじょ)の庶子に生まれ、理想主義者ゆえに、挫折と漂泊を繰り返す、敗者としての孔子の評伝を執筆中だった。高弟・子路の激しい気性、その武闘への態度、師への抗議などの描写には、当時の新左翼学生の姿が投影されているとの評価もある▼

司馬遷の『史記』によって聖人の粉飾を施され、中国官僚制国家の守り神に叙せられた孔子像を覆す歴史的な評伝。執筆に駆り立てたのは敗戦の虚脱の中で読みふけった『論語』と『聖書』だった。白川さんは両書を敗北者のための思想、文章と読み取る▼

古代甲骨文字の研究から、画期的な字源解釈をまとめた『字統』『字訓』『字通』の三部作は、後漢以来の許慎著『説文解字』の通説を改める世紀の名著だ▼

この碩学(せきがく)が、靖国批判をかわそうと、孔子の「罪を憎んで人を憎まず」を引用した小泉前首相に色をなしてとがめたと、梅原猛さんは書く。文化の日目前の訃報(ふほう)だった。享年九十六。
by tomozumi0032 | 2006-11-03 18:29 | NOTE
←menu