勃起しない猿と勃起するクリトリス

◆職場の休憩室にあったYOUNG JUMPをめくりながら、その女子化の度合に―あ―と思う。殆どの漫画の主人公が女子で、H系からアクション系に至るまで、男性的なものが見当たらず、男子の「ラヴジュース溶解化」が著しい。ほとんどこれは少女漫画の変奏曲、男子欲望による書き換えのように読まれてしまう。
a0065481_821011.jpg

◆グラビアでもAV(アダルトヴィデオ)でもファッションでもそうだが、あれは男性の欲望の記号を巧みに置き換えた女子の欲望のように思われて仕方がない。例えばAVはだいたいが女子が肉体器官の記号を放蕩させ、その放蕩の道具として、男性をモノ的に放蕩しているんじゃないのだろうか。<男子欲望>は女子を潤ませ、ラヴジュースを放出させる道具で、女性はそれをひたすら消費するものじゃないか。

◆AVに「顔面シャワー」という技があるが、あの「顔面シャワー」は象徴的にこういった性的関係性の位相を明示している。白濁精液スペルマは内部放出されて、子宮と結ばれて結実するわけではなくて、外部放出されることによって、純粋なる消費の手段として女性を飾るものなのだ。だからあれは男性が女性を征服し、陵辱するものではなくて、逆に女子のエクスタシーを装飾するシャンペンシャワーのようなものではないだろうか。つまり女子が男子を<女子欲望>によって消費したということの証として―

◆あるいはSMはあれは逆転した転置でなされる女子の<男子欲望>と視線の支配の表現としか思えない。つまり吊るされ縛られ嬲られ被虐されることによって、彼女たちは逆説的欲望のトライアングルによって、男性を根源的に支配するのだ。(MADONNAをみよ!)思えばこういった二律背反のパラドクスは関係性のもとで止揚されるありふれた形態であって、彼女たちのこういった欲望をめぐる根源的奸計による企みは「ロリータ」から「ケープフィアー」に至る映画群に繰り返し反復されているものなのではないだろうか―

◆少子化の問題は拡大する資本主義のこういった<女子欲望>の拡大のパラドクスだ。「欲望されること」によって、あるいは「欲望を弄ぶ」ことによって、あるいは「欲望を操作する」ことによって、肥大し輝くこと。そうしてこの肥大した輝きの前で男子の欲望が被る決定的に貧しい位相を思うと、いずれにせよ片や氾濫するセックス情報と片や増大するセックスレスとは男子欲望をめぐる決定的な敗北を思わせる。それはつまりいまやOLD FASHIONという表現が妥当な、時代遅れのものとなってしまった。(そうしてある意味でのナショナリズムが特権的に擁護するものとはまさしくこの男子欲望だろう。これは戦争も含めて、どうしようもなく古い位相のものでしかない)

◆現代社会というものは―どうみても―あらゆる意味で前社会的なるものの飽和のパラドクスによって成立する逆転の運動力学を慣性として進行しているものにしか見えない。そこでは<男子欲望>はエレクトリックな制御によって制御される前時代的な記号であり―ここでの暗喩はこうだ―所詮お前らは土地神話的古き形態学と関係保持の力学とその構造化に従事していればいい、何故ならお前らは決定的なOLD FASHIONだ―NEW MODEとして社会を表象し社会を変革するものこそが<女子欲望>(フラクタル、ファッション、あるいは美学の力)なのだ。そして職業というものがことごとく「永遠の係員」(ドゥルーズ)なのだとしたら、フラクタル、ファッション、美学がこそ現代の表象なのではないか。
a0065481_83085.jpg

◆現代の女子はいずれにせよ美しいと思う。薄っぺらいといわれようが、ある意味での白痴性をそなえていようが、それは男子の女子に対する「やっかみ」にすぎないのである。
<女子欲望>の昇華―そして変革への力。新しい美学と改革への意志―もし日本を変えられる力があるのだとしたら、この<女子欲望>のうちにその力を見るのはそれほど間違ったことだとは思わない。

◆日本は「勃起しない猿と勃起するクリトリスの国」になるだろう。
いやもうすでに―近代の軍国主義的迷妄に捉われなければ―ずっと―そうだったのだろう、仮名と女手の国。
そしてそれはそれでよいような気がしてしまう。
[PR]
by tomozumi0032 | 2006-07-14 19:56 | 社会評論
←menu