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いまだ妖怪は徘徊している!


いまだ妖怪は徘徊している!

スラヴォイ ジジェク Slavoj Zizek 長原 豊 / 情況出版


以下本の帯びより―
「マルクスが(を)リサイクル!?加速度的に表象化するグローバリゼーションと社会深部における「人間」の最終的破壊のなかで、私たちはいま、どのように政治化できるか?先鋭的思索者ジジェクはマルクスがリサイクルすることを知らせ、マルクスをリサイクルする道を提示する」

思想家ジジェクによるマルクスの「共産主義宣言」の解説だが、それもさることながら、読みやすい分量とPOPな表紙から入門書、親しむための第一歩としてもお勧めできる。ジジェクとはどのような語り口か?ナニを問題とし、ナニについて思考し、ナニにこだわり、ナニに批判的なのかといったもののおよその概観はこの本で掴めるだろう。
ジジェクについて強く感じるのは、資本主義圏では「ない」ところからの視座であって、鬚もじゃの風貌もあいまって、ハクスレーの「素晴らしき新世界」における原始人を思わせてしまう。これはどうでもいいことだが、この「鬚もじゃ」はまさに文豪、思想家のそれである。個人的には文豪、思想家というものは断じて「鬚もじゃ」でなければならず、その意味でブンガクのメルトダウンは文学者の「鬚もじゃ」率の低下に端を発しているように思われてならない。ドストエフスキーや志賀直哉のあの立派な鬚をみよ。そして―ジジェクの「鬚もじゃ」はそれに匹敵するようなレベルを依然として保っており、あの鬚の繁殖の剛毅さだけで、ある種の言葉ならぬ感慨、感覚的信頼感といったものを約束してしまう―
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さて本題―
ジジェクはイタリアの脇、スロヴェニア(☆)という小国の生まれ。旧東欧諸国の没落を目の当たりにし、まさしく資本主義に喰われて市場化されてゆく社会を体験した旧共産主義の東欧諸国の人間の言葉を思わせる苛烈さがある。彼はいう。

私たちはグローバル資本主義的世界新秩序のそのもっとも根底的な変容において生き抜くことを強いられ、またその被害者なのだ。統合ヨーロッパというイデオロギー的夢想は、二つの構成要素の(不可能な)均衡を成し遂げることを目論んでいる。それはグローバル市場への完全なる統合と固有なナショナルでエスニックな民族的アイデンティの保持という二つの構成要素の均衡である。私たちがポスト共産主義の東欧という枠組みにおいて獲得しつつあることは、この夢想のある種の否定的で脱ユートピア的な実現である。つまりそれは、二つの世界の最悪部分の統合であり、イデオロギー的なファンダメンタリズムと綯い交ぜとなって暴走する市場なのだ。」(P78)

「東欧諸国で本当に存在した社会主義から本当に存在する資本主義への道筋は、民主主義的熱狂という至高から馬鹿げたことへの喜劇的な一連の反転を惹き起こした。プロテスタント教会へ集結し、秘密警察のテロを英雄的に打ち破った誇り高き東ドイツの民衆はバナナと安いポルノのおちぶれた消費者に突然かわってしまった。ハヴェルや他の文化的なアイコンたちのアピールによって動員された教養高きチェコの人々は、西欧からの旅行者を騙すちっぽけなペテン師に突然成り下がってしまった。」(P78)

ジジェク自身がいっているように、「グローバル市場への完全なる統合と固有なナショナルでエスニックな民族的アイデンティの保持という二つの構成要素の均衡」といったものが、彼の発言を裏付ける背景として読まれる。そして試みに「グローバル市場」を「ポップ大衆文化」、エスニックな民族アイデンティティを「伝統文化」と置き換えてみると、よりジジェクの立脚点が鮮明になると思う。つまり彼はその二者間の軋轢の最も激しい部分で思考する「彷徨える東欧人」なのである。だからそこに折り重ねられるヨーロッパの歴史構造への並々ならぬ執着、そしてその歴史構造が厳しい攻撃に曝されている時代の東欧人の葛藤のような思考が本書の揺るがぬ魅力となっている。(したがって、帯にある「人間」の最終破壊というものは東欧における「伝統文化」的な「人間」の概念が急速な産業機械化とグローバル市場の「ポップ大衆文化」によって、変質を余儀なくされているとみるべきではないか?これは日本人の概念上にある「人間」の概念と厳密に同じものではないように思われてならない)こういった葛藤の軋轢は日本という立脚点から往々にして看過されがちなもの、近すぎて見えないものであって、こういった視点の異化作用と批判の苛烈さは時に滑稽とおもわれるところもあるが、その熱量にうたれてしまう。

ところで本書の題にもなっている「妖怪」とはなんだろうか?
これはマルクスの共産主義宣言の冒頭の発言(「一つの妖怪がヨーロッパをさまよっている―協賛主義の妖怪が」)の引用であり、と同時にジジェクの言葉で以下のように説明されている。

「人間と環境へ関心をまったく払うことなく突き進む資本。こうした自己をみずから産出する怪物のこの妖怪性は、しかし、イデオロギー的抽象にすぎない」

資本主義はたしかにジジェクのような、旧東欧諸国に「妖怪」のように立ち現れたのである。冒頭に述べられた「システミックで匿名的な「暴力」」(P8)を潜在させて―それはいままでの価値を根本から覆すものとして(「資本主義が社会生活を根底的に世俗化し、本来あるべき尊厳、気高さ、名誉などのアウラをことごとく無慈悲にひき裂いてしまっているのだ」(P6))まさしく妖怪として現れたと思しい。したがって、たとえばビルゲイツやたまごっちに対する苛烈な罵倒はそういった文脈から理解されるべきだと思う。

それから「タマゴッチ」批判において、極めてキリスト教的な立場から批判を加え、タマゴッチをサタンの化身としているのだが、のちの潜在的なヨーロッパ中心主義者の批判においてヨーロッパは他文化を理解することがむずかしいと批判するというのは、どう考えても矛盾しているように思う。これはヨーロッパ人同士では見えないのだろうが、いずれにせよ極めてヨーロッパ圏の内部言語に凝り固まったところがあるようにおもう。

にもかかわらず、ジジェクはこの「社会的想像力の著しい崩壊」(P68)し、「人々の想像力が切迫する「自然の崩壊」や地球上のあらゆる生命の終焉という見通しに悩まされているにもかかわらず、もはや誰も真剣に資本主義にたいするありうべきオルタナティブについては考えない」(P69)、そして「生産様式のより穏健な変更に較べれば、「世界の終わり」のようがはるかに想像しやすい」時代に優れた洞察力と鋭い批判眼で状況を見定められ、B級映画好きでひょっこりしている人のように読まれた。

けっこう「すてき☆」・・・かも・・・鬚もじゃ・・・


(☆)スロヴェニアの歴史―6世紀ごろに南スラブ系のスロベニア人が定着。774年カール大帝によってこの地域を支配していたランゴバルト王国が打ち滅ぼされるとフランク王国の支配下に入った。この地域はその後もフランクの遺領として扱われ、後に東フランク王国、すなわち後の神聖ローマ帝国に編入された。現在のチェコと並んで神聖ローマ帝国領とされた事は他のスラヴ人地域と異なった歴史的性格をスロベニアにもたらすことになる。他の南スラヴ人と比較してもスロベニア人は勤勉で、ドイツ人気質に近いという評価を受けることは多い。また、現在でもドイツ語とのバイリンガルは多い。15世紀にはハプスブルグ家領となり、以降オーストリア大公領、1867年にオーストリア・ハンガリー帝国が成立するとオーストリア帝国領となった。その後1918年に第一次世界大戦が終了しオーストリア・ハンガリー帝国が解体されると、セルビア王国の主張する「南スラヴ人連合王国構想」に参加。セルビア・クロアチア・スロベニア王国の成立に加わった。この際スロベニアの一部地域ではオーストリアとの経済的、文化的な結びつきが強かったため、住民投票が行われ、オーストリアに帰属するか、スロベニア(セルビア・クロアチア・スロベニア王国)に帰属するかを住民投票で決めた地域が存在する。この王国は、1929年にユーゴスラビア王国に改称した。1941年にユーゴスラビアに枢軸国が侵入すると、スロベニアはナチス・ドイツの占領下におかれた。このことからもスロベニアが広義的にドイツの一部として扱われていた歴史を窺い知る事ができる。西に接するイタリアはスロベニア沿岸地方を自国の領土と考えていたため、ムッソリーニ指揮下のイタリア軍が首都リュブリャナを占領している。1945年、ユーゴスラビアに復帰。1980年代になるとユーゴスラビア内の経済格差が拡大。中でも地理的に西ヨーロッパに近く、ユーゴスラビア内での経済的な先進地域であったスロベニアでは、工業を中心とした「経済主権」を主張してユーゴスラビアからの分離独立を目指す動きが次第に強くなっていった。1991年6月にユーゴスラビアとの連邦解消とスロベニアの独立を宣言。短期的、小規模な十日間戦争の後に正式に独立。1992年5月、連邦構成国だった隣国クロアチア、同じく連邦内にあったボスニア・ヘルツェゴビナと同時に国際連合に加盟した。その後はヨーロッパ回帰の動きを強め、2004年3月にはNATOに、同年5月1日に欧州連合(EU)に加盟した。(wikipediaより引用)
by tomozumi0032 | 2006-06-01 20:17 | 哲学批評評論
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