インディヴィジュアル・プロジェクション
インディヴィジュアル・プロジェクション
阿部 和重 / 新潮社
えっと・・・これ いっちお~渋谷の小説らしいが、どうも渋谷で生きている人を重層的にとらえたものとは言いがたく、あくまで舞台としての渋谷で、渋谷の描写自体は貧弱だ。渋谷で青春自体を過ごした人間として、いわせていただければ、これは渋谷の生成過程に付与するブンガクではなくて、渋谷に出てきた男が渋谷という都市制度(ヤクザやヒラサワが殴られる高校生のクローン、アヤコ)と地方上京者の持ち込んだ特異なシステム(高踏塾や映画への粘着リビドー固執、プルトニウム)間の闘争としても見ることができ、つまりある意味では都市を舞台に繰り広げられる―漱石以来の小説の一形態である地方上京者の夢―であって、渋谷のブンガクというのはあまり妥当ではないだろう。
それからやはり強いのは映画の影響であって、非常に構造的に近いものでは「ファイトクラブ」(映画技師という職業の一致、主人公の主体の混濁、下位組織の形成)であり、その他にも「タクシードライバー」に代表されるスコセッシ映画や東映やくざもの、武映画を想起させるところがある。
武器や拳銃に興味があるらしく、作中何度かでてくるが、武器に対する呪術的美学的陶酔に乏しく、あまり武器に文章が艶めかないという意味で、彼にとって武器は実用価値のみが主題となっているとおぼしく、文章全体が実用と解釈レベルによる渇きがあって、その意味で貧しいように思った。理性の貧しさというものではなくて、感性の貧しさ。もっとも、それを割り切ってしまえば、安部公房的なのかなぁ・・・と楽しんだ。
都市論としていえば地方上京者にありがちな平板さで、状況の中を賢く生きているのだろうが、もう少し人物的記号論としてのものではなくて、都市論として複雑な深みを表現できてもよいような気がする。都市はむしろ乱反射するイマージュの戯れなのだから―
以下どうでもいいこと-彼はブルース リーが好きなようだけど、個人的にはジャッキー チェンで、コーネリアスを尊敬し、AKIRAのファンらしいけど、個人的にはコーネリアスは69/96であり、AKIRAの台詞の引用は共感できる。
最後にこれはとっても「男の子ブンガク」だと思う。知的でスリリングな記号論。言葉の世界の住民たちが好きで絶賛するのはわかる気がする。けれども同時代を生きる男の子としては、微妙なところ。もちろん男として理解できるところや、こういった文学があってもよいのだとは思うのだけれど・・・うむむ・・・
by tomozumi0032
| 2006-05-08 17:17
| 小説評論