美と共同体と東大闘争
美と共同体と東大闘争
三島 由紀夫 東大全共闘 / 角川書店
◆これはちょっと三島が可愛そうなようにも思う・・・
◆三島を模した「近代ゴリラ」の楯看板、荒々しいムードと殺伐とした状況。
まさに多勢に無勢な上、論議が成立するのに必要な磁場が互いに共有されておらず、言語が中空で神経症的に痙攣しているのが見て取れる。終わりの方での三島の憔悴ぶりが痛々しい。
◆同時に当時の文人はこれほどまでも苛烈に論議に晒され、批判され、否定されたのかと思うと、現代の白痴的幼児退行社会の白痴的作家賞賛の現状がやっぱり腑抜けて見える。
◆論議とは生きた言葉の文字通りのぶつかり合いであり、三島の思わぬ失言(?)から彼の本音が晒されるところは読みどころだ。それにしても思想的な対立はさておいて、全共闘はもう少し三島を丹念に読むべきではないのか、という気がした。
◆―というのは全共闘に見られるものは、驚くべき文脈的への無理解と理論的硬質さ、一面的誹謗というものであって、最初の頁においては、なんとか文脈を共有しようとお互いに論を展開するものの、結局文脈は共有されぬまま、上述のように三島は中空を彷徨い、結局は数の論理に押し切られてしまう。
◆これは「討論」にさえなっていない。
お互いがお互いの届かぬ、あるいは噛み合わぬ主張を述べて終わるのだから―
◆今となっては、感じる事の少ない旧体制と新体制の思考の齟齬といったものがここでは剥き出して確認されるという意味で確かに貴重な討論かもしれない。
by tomozumi0032
| 2005-11-18 19:32
| 三島 由紀夫