遊びと人間



遊びと人間 (講談社学術文庫)

ロジェ カイヨワ / 講談社



☆「はっきり結論をいえば、人間は人間であるからこそ遊び、また遊ぶからこそ完全な人間である」


―と、いうシラーの言やホイジンガの研究を参考にして、ロジェカイヨワ氏がこれまで否定的にとらえられてきた「遊び」というものを肯定的にとらえなおした一冊。

遊びに潜む文化的意義が生物・人類学的な角度から問い直されています。

もっともシラーに反して、この本書では、遊ぶのは人間だけじゃあなくって、動物や昆虫の世界にも遊びを見いだしており、著者の手塚・宮崎・ピンチョン=アニメ的?(笑)で、生物学的なまなざしの深さを感じます。たとえば、押尾学やウィリアムバロウズのような麻薬中毒者は人間のみならず、蟻の世界にもいるんですよね。フサヒゲサシガメと呼ばれるカメムシの一種は麻薬のような分泌物を出して、蟻を麻痺させますが、蟻はそれに中毒を起こすそうです。面白いですね。

☆カイヨワはホイジンガよりもOUT OF CONTROL?

カイヨワの本書はホイジンガの大著「ホモルーデンス」の遊びの価値を反転させた偉業をたたえながらも、批判しています。なにより批判しているのは、「偶然の遊び」(「アレア」と本書で呼ばれています。たとえば「賭け」や「ルーレット」、「パチンコ」や「宝くじ」など偶然のチャンスによってラッキーをゲットする遊び)や、あるいは「めまいの遊び」(「イリンクス」と本書では呼ばれています。これはたとえば、「ブランコ」、「くるくる回り」、「お酒」や「麻薬」によって「一瞬だけ知覚の安定を崩し、明晰な意識に心地よいパニックをおこそうとする遊び)をホイジンガが考えなかった点です。

カイヨワはホイジンガが「文明の全体をルールの発明と尊重、フェアな競争から結論」していることに疑問を呈しています。

「めまい」や「偶然」の遊びにみられるように、社会全体からすれば、社会秩序にたいして「遊び」は反社会的なところがある。それは時に「OUT OF CONTROL」になることをカイヨワは取り上げました。

☆ジョルジュバタイユ・カイヨワ・岡本太郎

1936年、「エロティシズム」の著者バタイユは社会学研究会(コレージュ・ド・ソシオロジー)を設立します。

これにカイヨワも芸術家岡本太郎と一緒に参加していたそうです。そしてこの会のもうひとつの顔は「秘密結社アセファル」で、数々の秘儀が繰り広げられていたそうです。

バタイユ・カイヨワ・岡本太郎。

日本・フランスの戦後文化史の礎をきずいた彼らが一堂に会し、秘儀を行っていたという話はミステリアスで興味ぶかいものです。

生物と人間をとりもつシュールな結束。彼らが秘儀を通じて見出した生命と意識とのあたらしい関係のあり方とはいったいなんだったのでしょうか?

岡本太郎の絵が物語るような呪術世界なのかしらん―

☆さいごに―

おわりにカイヨワ氏の言葉を引用してみます。

「わたしのさまざまな著作がしめしている関心の数には私自身でもいくらか不安になるほどです。強いてその共通点を探すならば、まず、本能とめまいの力に対する不断の興味であり、さらにくわえて、これらの力の性質を規定したい、その魔法をできるだけ分解したい、その範囲を正しく見極めたいという気持ちであり、最後にこれらの力に逆らって、これらの力を抑えて、知性と意思との優越を維持するという決意でしょう。なぜなら人間にとって自由と創造とのチャンスは、知性および意志からのみ生まれてくるからです。」
                         雑誌「プルーヴ」(preuves)1968年3月号より

☆PS

ちょうど折よく村上龍の「コインロッカーベイビーズ」と併読しちゃいました。なんだか「コインロッカー」の登場人物がカイヨワの遊びのオンパレードだったので、どちらも2倍面白かったかな(笑)

散漫になったり、名前を忘れたり、併読の弊害もあるかもしれませんが、「好い併読」というのもあるものです。

それから「遊んでいる人は若い。若さの秘密は遊び」だそうですよ。アンチエイジングって古くから遊び上手なことなんでしょうね。
by tomozumi0032 | 2010-10-21 21:28 | 哲学批評評論
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